chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

ミートキーナの慰安婦

 

Won-loy  Chan による “BURMA : Untold Story” 『 ビルマ:語られざるストーリー』には約五ページに渡りミチナ(=ミートキーナ)陥落直後に捕虜となった慰安婦達との遭遇が記されている。

 

かの慰安婦達の有名な写真も本の中に収められている。左側最前列のアジア系米兵が彼である。

当時、ウォンロイ・チャン大尉はビルマで中国国民党軍を主要力として北ビルマ奪回作戦の指揮を取っていたスティルウェル米将軍の配下、ミチナ飛行場に設置されたミチナ攻略作戦本部で軍事情報収集分析の重要任務についていた。とはいっても人手不足で彼一人のワンマン・オペレーションみたいなものなのに責任は重く、眠るのも惜しんで仕事に没頭したそうだ。

 

1944年8月3日、ミチナ陥落直前に捕虜となった一人のうら若い朝鮮人女性がミチナの作戦本部に連れてこられた。この女性はキムと名乗った。この女性は一人の日本兵と一緒に壕に隠れているところを、ミチナ陥落作戦に参加していた英・ビルマ部族ゲリラ部隊によって捕獲されたのだった。

その頃、チャン大尉は続々と投降が続く日本兵達やミチナ避難民の波からの情報収集及び対処に追われ、彼女への対応にとてもすぐには手がまわらなかったそうだ。

しかし兵士の間ではすぐに大ニュースとなった。

そこで日系二世のカール・ヨネダ通訳軍曹が少しばかり尋問させてくれ、と自ら買ってでた。チャン大尉は承知した。だがチャン大尉はヨネダ軍曹からの報告を見たことはない、と述べている。

  

カール・ヨネダ軍曹は、カールという名をマルクスから頂戴したという筋金入りの米共産党員だった。組合オルグ、党日本語機関紙の編集長として当局にはよく名の知れた日系人の一人であった。

彼の方も1983年に、“  Ganbatte”日本語訳『 がんばって、ある日系米人革命家60年の軌跡』という自伝を出版しているのだが、不思議な事にはその中でキム嬢については一切触れていない。だが、20人の慰安婦達については、あたかも彼がミチナで関係したかのように述べている。

 

結局その後チャン大尉はキム嬢に型どおりの尋問をしたわけだが、彼女は軍事情報に関しては全く無価値と判断、翌日にはインドのレド収容所行きの飛行機に乗せてしまった。

いくらMPの護衛つきでも、陥落寸前のミチナは若い女一人のいるような場所ではないのだ。ましてこの女性が日本軍慰安婦であればなおさらだ。

 

著者ウォンロイ・チャン大尉によれば、その時、このキム嬢は60年代のミニスカートに似た膝上までのワンピースらしきものを着ていた。残されている写真によるとその下からは素肌の膝小僧が剥き出しである。そして両足は包帯で巻かれていた。

一緒に写っているのはカール・ヨネダ軍曹だ。後ろ向きの彼とキム嬢が何やら話しこんでいる。

写真の彼女は、椅子らしきものに腰掛け、何だか非常に楽しそうだ。その横に座っている日本兵の緊張した暗い表情とは全く対象的である。

膝から露出している両脚だが、膝下あたりからむくみ気味、足の包帯の下から突き出ている足指の部分などにはかなりの腫れと皮膚の変色がみられるようだ。もちろん包帯の下の皮膚疾患がどのようなものであるかは全く知るよしもない。

 

前回のブログ、BURMA : Untold Story で紹介したように、ミチナ陥落直後の8月8日午前9時半頃、ヒラバヤシ軍曹がチャン大尉のところに報告に現れた。

著者は即刻ヒラバヤシ軍曹と他の二人の日系通訳を連れて捕虜となった慰安婦達に会いに行った。著者は彼女達から日本軍部隊の最新の動きに関する情報が得られのではないかと期待をよせていた。

 

有名な20人の慰安婦達の写真に納まっているアジア系兵士はこの四人であった。

 

捕虜になった時の彼女達の格好は、かなり人目をはばかるようなものだったらしい、MPが急いで見つけてきた服はサイズの会わないブラウスとだぶだぶのズボン、その上衣類には汚れが目立っていた、というのが著者の観察だった。

 

慰安婦達には年増の“日本人のママさん”が着物姿で付き添っていた。

 

このようにちぐはぐな服装で髪も身なりも全く手入れしていない状態にもかかわらず彼女達はまわりの兵達の目を惹きつけていた。

 

しかし軍隊を追うプロの女達特有の男に媚びる様子は微塵もなかった。

 

日本軍は慰安婦部隊を連れているというウワサは早くから耳にしていたが、これまで半分しか本当にしていなかった、と著者。

しかし、実際にその彼女達を目前にして信じざるを得なくなったとのこと。

 

著者は、日本軍の将校達と親密な関係にあった者の中に軍事情報を持っている者がいるのではないかと必死になって尋問を続けたのだが、まったく効果が上がらなかった。

 

朝鮮人慰安婦達はよくて片言の日本語しか話せなかった。

通訳の中で一番日本語がうまかったヒラバヤシ軍曹に、ミチナ守備の日本軍将官のフォトを見せて貰い、誰なのか一人ひとりに聞いて貰ったがさっぱり返答がない。その中でやっと、第114隊司令官の丸山大佐を言い当てた慰安婦が出た。

著者はこの慰安婦は丸山大佐と非常に親しい関係にあったのではないか、と直感したそうだ。

 

こういった有様だから尋問事態は次第に尻すぼりとなり、どちらかというと、相方とも黙りこみがちとになってしまったのだが、突然一人の慰安婦がママさんに話しかけたことから、堰を切ったように皆が大声で一斉に朝鮮語で叫び始めたそうだ。

 

年上のママさんは朝鮮語で慰安婦達に静かにするように命じ、将校であった著者に視線をまっすぐ向け通訳のヒラバヤシ軍曹に問いかけた。

この先どうなるのか教えてくれ、と。

ここからインドに送られ戦争が終わり次第そこから朝鮮に送り返されることになる、とチャン大尉の返答。

おそらくインドがどこにあるのか見当もつかないのではないか、とチャン大尉は心の中で思ったそうだ。

しかしそれを聞いた慰安婦達は少し緊張が緩んだようだった。またママさんにしきりに話しかけている。ママさんは、「私はこの子達に責任があるので」と言って、著者にくるりと背を向けた

その時、著者ととヒラバヤシ軍曹はこのママさんの着物の帯の下が異常に膨らんでいるのに気付いたのだ。まさか、この年で妊娠でもあるまい。

著者はヒラバヤシ軍曹に、おかしいぞ、何だろう、と囁いた。

ヒラバヤシ軍曹は、出来る限りていねいな口調で尋ねたそうだ。

ママさんはヒラバヤシ軍曹の明らかに居心地の悪そうな表情を反対におかしがっていた。

ママさんはゆっくりと帯を解いていった。

 

この子達に責任があるということは、この子達の稼ぎにも責任があるということなわけ、といっていくつかのきちんと包装された分厚いお札の束を帯びの下から取り出してチャン大尉の前に並べた。

この札束は、すべて日本軍の10ルピーの軍票だった。軍票というのは将来いつか日本政府が10ビルマ・ルピーを払うという約束手形であり本当の紙幣ではない。これが本物の日本紙幣であれば、軍事下の日本経済は統制不可能な超インフレに襲われ崩壊してしまったことは確実であった。

日本軍占領下のビルマで、この軍票に実際がどれだけ価値があったのか明確ではないが、日本軍のビルマ敗北で今は全くの無価値となった。

ヒラバヤシ軍曹がその事をママさんに説明したら、ママさんはとても信じられないという様子。

 

この無価値な軍票の山を稼ぐ為に、慰安婦達がどんなにつらいことを耐えて来なければならなかったかを考えると、胸が締め付けられる思いがする、と著者は 述べている。

 

ヒラバヤシ軍曹も同じ思いだったらしく、ママさんに、どうせ紙屑同然だから、札束の一つか二つを米兵や中国人達の記念品マニアに話をつけてチョコレートや食べ物、タバコと交換してあげるがどうか、と持ちかけると、ママさんはちょっとの間を置いた後、包み二個を差し出した。

そして残りの札束をまた帯の下にしっかりとしまい込んだ。その時慰安婦達の口からほっとした安堵のため息が漏れたという。

著者はこれについて、彼女達がこれをアジア的慣習の“上納金”と見なし、これで残りは安全だと信じたからだ、という観察を述べている。

 

チャン大尉は、とにかく一刻も早くこの慰安婦達一行をインドのレド英軍基地に移動させる事に決めた。チャン大尉によると、そこでミチナの慰安婦達を同盟国側の新聞が大ニュースにしたという。

 

彼女等がミチナを去る前夜、チャン大尉、ヒラバヤシ軍曹と日系通訳二人の四人組は最後に彼女等を訪問、その夜ささやかなお別れパーティーを開いた。

ギター片手のアジア系兵士達と彼女等はそれぞれの歌を交換、米兵士達はアメリカの歌、日本の歌を披露し、慰安婦達は、『アリラン』を皆で大合唱したそうだ。

 

チャン大尉は米国に帰国しスティルウェル将軍の口ぞえで情報局に復職、その後、太平洋戦線の情報管理を担当している。著者の慰安婦についての見解は以下である。

 

公式(=政府関係)の朝鮮人慰安婦記録は存在していないので、こうした憐れな朝鮮人女性が日本帝国軍によって強制売春をさせられた正確な人数は判っていない。推定では最高20万人にのぼるということだ。

彼女らのほとんどは貧しい農家の出身であり、1935年から1945年にかけて、憲兵隊を通して集められ、日本軍部隊が進軍したところには必ず彼女等が配属されていた。

数千人が戦闘に巻き込まれて死亡したが、日本の降伏後、連合軍によって朝鮮半島に帰ることが出来た。日本は彼女等に関する全記録を破壊して慰安婦を大日本帝国軍の歴史から取り除いたのだ。今や数枚の写真が残されるのみである。

 

慰安婦達は、『女子挺身隊』という見かけは立派な名目で組織された。彼女等は50人ぐらいで小隊を組み、その中で将官、下士官、下等兵士用に分けられていた。

これら慰安婦隊は朝鮮語を話す年増の日本人女性により率いられていた。慰安婦の内で病気、その他により本来の商売が出来ない者は、洗濯や兵舎の掃除などの雑用に使われた。

 

戦争を生き残った慰安婦達については何も追跡調査はなされていない。1950年から1953年の間にかっての日本軍慰安婦達が連合国軍相手に商売を続けていることが、連合国軍のリポートに記されている。沖縄でもかっての慰安婦達の存在が確認されている。

大多数の慰安婦達は恥ずべき過去を社会から隠す必要があった。その為に元慰安婦の追跡調査は困難であり、彼女等の戦後の運命については全くの推測に任せるより他はない。

 

 

追記:拙者のブック・リビューが 

“Untold story of forgotten battle WWII”というタイトルで

Amazon.Com に載っています。興味のある方はどうぞ。   

 

上のは有名な写真ですが、左端の米兵がチャン大尉、右端がヒラバヤシ通訳担当だとおもいます。このヒラバヤシ氏は2000年頃に二人の著者からインタビューに答えています。

 

慰安婦は若きものを必要とす by 麻生軍医

さて前回では 陸軍慰安所は清潔な共同便所、という麻生軍医のメタフォールが、医者として全く不適切であると私は書いた。
しかし、当時の日本では❝共同便所❞とは娼婦を指す卑語だったので、これは麻生軍医のオリジナルではない。
彼の真意は、どうしても我慢の出来ない兵士のみ、最後の手段としての慰安所を使え、というわけだったのだろうが、共同便所の持つコノテーションによってとんでもない誤解を生んでしまったようだ。
実は麻生軍医も他の軍上層部と同様に、皇軍の神聖不滅というハイスタンダードを信じ、兵士の戦場での残虐行為、レイプに関しては、戦場での一時的な規律の乱れとしてしか理解できなかったようだ。
 
麻生軍医は軍の輸送船で集団上陸してきた女達のことを、兵隊慰問に来た芸人だと思ったそうだ。上官から身体検査をするようにという命令を受けた時には、なぜ芸人の身体検査をしなければならないのか不思議に思ったそうである。
産婦人科だから検黴をするようにと言われ、どうして100人の売春婦が戦場に連れて来られたのか、と驚いたそうだ。
最初に100人のうち、内地は北九州からの女性が20人、この人達はプロであり、20才以上で年長は40歳だったそうだ。身体もそれなりに年を取り、明らかに過去に性病を患った痕跡すらあった。
残りの80人は半島出身。皆素人らしく、処女がまじっていた。
実はこの麻生軍医は召集前は博多の公娼の検黴もしていたので、若干30歳に満たないのに、いわばその方面のプロでもあったのだ。
 
当時、世界の軍事強国の軍隊にとって性病(=VD)は大きな問題となっていた。当時でなくても、米国では南北戦争時にも問題となっていた。兵士へのコンドムの配布は第一次世界大戦ではじまった。1930年代にはコンドムのマスプロダクションがスタートし、日本も欧米各国も兵士にコンドムを配布していた。
 
ネトウヨの中には、検黴を慰安婦の健康診断と誤解し、高給の上に軍は慰安婦の健康管理までしてあげていた、とカキコしていたのがいた。
 
検黴は下半身の視診にしか過ぎない。潰瘍及びしこり、膿み、悪臭をともなうおりもがあるかどうかなどを陰部を中心に肉眼でみるだけだ。中には、膣内に筒を差し込み、膣中の分泌液を調べる人もいたらしい。あの当時の衛生管理態を考慮すると、これは検黴する側も感染の危険をおかしていることになる。
ところで、陸軍では産婦人科医は希な存在。だからおかど違いもはなはだしく、まず、的確な検査はできない、と考えた方がよい。軍医がいなければ、衛生兵がすることになっている。もうこれは茶番としかいいようがない。麻生軍医は意見書の中で、この検黴を自分の欲望のはけ口にした軍医者・衛生兵がいることを告発糾弾している。
 
ところで当時もっとも恐れられていた性病は梅毒である。ペニシリン投薬が普及し始めたは1943年だから、それまで梅毒は体がこぶだらけになり、狂死する不治の病であった。この梅毒を診断するには血液検査が不可欠であるが、これなどはほとんど実施されていないのだ。後になって、麻生軍医は実際にこの血液検査をしたら慰安婦の50%が梅毒に感染していた、という結果を得て驚いたと、上海から上海へ、という彼の日記で述べている。
こんないい加減な検黴でも梅毒を持っている、判断された慰安婦は、だちに営業停止、サンバルサンまたは606号 と呼ばれた薬を注射されるのだが、サンバルサンは実は日本の科学者が発見した梅毒症状を抑えるもっとも効果的な薬だった。しかし人間に取っては猛毒である。値段も高価で、治療費は慰安婦個人にすべてチャージされた。営業停止期間の利益損失もチャージされたから、慰安婦にとっては泣きっ面に蜂だったはずだ。慰安婦の証言の中には、梅毒だと言われてすぐにサンバルサンというわけで、これを繰り返し注射された、というのがあるから、いかに彼女らが非人間的な取り扱いを受けていたか、理解できるはずだ。
 
 
上に引用した文だけでなく麻生軍医意見書には医者として全く不適切な箇所が他にもある。
 
サレバ戦地ニ送リコマレル娼婦ハ年若キモノヲ必要トス
慰安婦は若いコを。
その根拠は、年齢が若いほど性病感染率が低下するからだそうだ。
しかし、年齢別娼婦の性病感染率は客数の数に比例するのが一般的である。15-16歳の売春婦はなりたてであるから、感染率が低いのは予想できる。しかし、16歳でも15歳でも感染した客と無防備にインターコースすると、感染してしまう。だから年は関係ない。敢えて主張するなら、慰安婦は非感染者であることがまず第一条件ということになる。ところが、性病感染は当時の売春婦の職業病だから、いずれは皆感染してしまう。ベテラン娼婦が不妊症なのは生殖器感染の結果であるというのが何よりの証拠だ。だから麻生軍医のこの主張はおかしい。共同便所の慰安所には慰安婦の年など関係ない。
戦場での集団レイプの特徴は被害者の年に関連性がないということなのだ。老いも若きも女性なら皆被害者になった。これは南京レイプでもコソボのエスニッククレンジングでも同じだ。
 
 
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もしも麻生軍医がかっての若き慰安婦達が年老いてこのように日本軍の非道を糾弾するのを予知していたら、慰安婦は若いコがええで、なんて書かなかったはずだ。

慰安婦の便所からの解放と麻生軍医

随分昔のことを持ち出して申し訳ない。
今は昔、都内の新左翼系の大集会であるビラを手渡された。見出しは、
❝便所からの解放❞
何でも ‟グループ闘う女” という名のウーマンリブの方々から。
 
女は慰安婦、男の公衆便所、セックスのはけぐちか飯炊き洗濯女』
 
私が慰安婦という文字を目にしたのはこの時が初めてでした。しかし、巷では慰安婦とは日本軍につきまとった商売熱心な水商売のお姐さん方だとウワサされてたので、ビラを読んでつい笑ってしまいました。もちろん慰安婦は日本人のみと思いこんでいました。だから当時の私のオツムはネトウヨ並ということに。
 
ところで、『慰安所は共同便所』、という似たようなキャッチフレーズと自ら改良した慰安婦検黴台で世界中で悪名を馳せたのは、元陸軍軍医の麻生徹男氏。
世界中で、というのは嘘ではない。千田夏光に受けた汚名を返上、とばかりにネトウヨと彼の娘さん達が当時の陸軍に提出した彼の意見書を英訳してしまった。 しかし、共同便所は、shared toilets と訳され、返って逆効果になっている。
 
 
1973年に出版された千田夏光氏の従軍慰安婦には、麻生氏の 『花柳病ノ積極的予防法』という1939年に帝国陸軍に提出した意見書が全文収録されています。
これがなければ、夏光氏のルポ本の信用度はかなり低下したはず。
 
軍用特殊慰安所ハ享楽ノ場所ニ非ズシテ、衛生的ナル共同便所ナル故、軍ニ於イテモ慰安所内ニテ酒類ノ禁止サレアルノハ寧ロ当然ノ事ナリ。
 
上の引用は、陸軍への意見書の第四項、アルコール飲料禁止について、からです。
軍用特殊慰安所というのは陸軍が直接運営監督する慰安所のことです。
千田氏によれば麻生氏は性病感染防止という立場から、この軍用特殊慰安所の推進者だったとされています。
所要時間は30分、各兵は指定されたルームでまず陰部を洗浄、コンドームを着装、行為終了後、再び陰部を消毒液で洗浄し、殺菌クリームを尿道に挿入、となるのでかなり忙しい。
しかし私は当時の米陸軍の新兵向けの性病防止の為の教育映画を見ましたが、米側のはもっと厳格、インターコース(=セックス)終了後、近くの予防ステーションで局部完全洗浄から防止薬を尿道に注射器で挿入し、時間をおいて再洗浄と、少なくとも30分以上はかかる。そのステーションンには衛生兵が24時間待機し兵士を監督していました。
 
アルコール(酒)摂取は一時的な脳の機能障害おこす。外見からは正気を失った状態=delirium、に見える。症状として性欲の解禁がよく知られている。だから酒の勢いで女を買いに行く男や、人前でストリップを始める女が出てきたりするわけです。同時に手足の動きが鈍くなるので、インターコースも当然長くかかり、分刻みの慰安所には全く不適切。正気ではないから、奇声を発したり、暴力モードに突然早変わりするので、迷惑千万。当然ながら、麻生軍医は慰安所での酒禁止を主張しておられます。
 
史上初の日本帝国陸軍直営の慰安所がオープンしたのは、1938年、あの世界中を震撼させた南京大殺戮の直後ということになります。
しかし、この軍直属の慰安所は失敗に終わったのです。価格は2倍、時間は短い、気に入った娘が選べない、兵士達は、どうせ死ぬんだ、と梅毒蔓延の地元の娼家に流れて、結果的には性病防止効果は上がらず、慰安所には閑古鳥が。麻生軍医が力を入れた陸軍初の軍用特殊慰安所は一年足らずで閉鎖され、半官半民、つまり陸軍の規則には従うが、日本人や朝鮮人が経営する民間経営の慰安所が一般的となっていったわけです。 というわけで、変なところで自由
競争のキャピタリズムが勝利しています。
 
慰安所が共同便所なら、慰安婦は便器か。
事実、戦後の進駐軍は日本の敗戦処理政府が設置した慰安所の慰安婦を、YELLOW  STOOL(=黄色の腰掛便器)と呼んでいた。
 
しかし私は思うのだ、。麻生軍医のメタフォール、慰安所=共同便所、は医者として全く不適切な表現だ、と。インターコースは排泄ではない。オルガスムス(=orgasm)を伴う生殖行為である。 しかし、インターコースの目的はオルガスムスを得ることである。
 
しかし、排尿、排便ができなくなると、人間は死に至る。
だが、インターコースをしないということが人間を死に至らせるだろうか?その医学的証拠は今日に至るまで皆無である。
 
残留日本兵として有名な、小野田寛郎さん、横井正一さんは、少なくとも25年はインターコース無しで生きている。
小野田寛郎は、ルパング島で略奪、殺人、放火と、あの三光作戦もどきを元部下と二人組で実行してサバイバルしたのだが、レイプだけは報告されていないのだ。
また、日本人は一般的に西洋人は性欲が旺盛だ、と信じているようだが、中世には多くの男性は僧院をめざした。修道僧は一生不犯。ヨーロッパ中世が暗黒時代と評価されるのは、多くの優秀な男性が僧院で聖書をコピーしながら一生を終えてしまったからだ、という歴史家もいるくらいだ。
十字軍で活躍したテンプル騎士団は一生不犯を神に誓った僧侶の軍団だった。
一生インターコースをしない事はむしろ神に気に入られる事だった。
 
ところで麻生軍医自身も人間はインターコースしなくても生きていけると考えていた。
 
禁欲ハ有害ナリト言う者アリ。彼ラハ性欲禁止現象マデ羅列シ、ソノ有害ヲ説ク
日本人には上の説の信者が非常に多い。
 
禁欲ガ有害ニシテソノ結果、生殖衰弱神経症ヲ起コシ摂護腺腫大ヤ所轄,色情性副睾丸炎等ヲ惹起セシ実例ガ果タシテ幾何アリヤ。
 
そういう人達が列挙する3つの症状とは
 
生殖衰弱神経症とはインポテンツ、多くは年齢に関係している。
摂護腺腫大は、前立腺肥大のことで、今日、年長者男性の多くに見られる。
生殖衰弱神経症とはインポテンツ、多くは年齢に関係している。
摂護腺腫大は、前立腺肥大のことで、今日、年長者男性の多くに見られる。
色情性副睾丸炎は、睾丸上部の炎症で、原因は黴菌侵入であるから、むしろインターコースが介在している可能性がある。
 
慰安所を共同便所とする彼のメタフォールは、賤業と呼ばれた公娼を見下しバカにするのが目的で、医学的メリットが全くない。それどころか一般人の誤解を招いている。
 
 
 
 
 
 

小室圭は正しい!?

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A氏とB未亡人は結婚を前提として交際していた。
B未亡人には亡夫と間に一人息子がいた。B未亡人は非常に教育熱心で息子には身分不相応にも見える高い教育費をかけていた。
そこでA氏はこの息子の学費及び米国留学の費用として、総額400万円をB未亡人の口座に振り込んだ。しかし、その後A氏は婚約を一方的に解消した。
婚約解消後A氏は財政難に陥り、あの400万を返してくれ、とB未亡人に請求した。B未亡人と彼女の息子は、問題の400万は贈与であった、と主張、返金には全く応じない。
A氏は400万の負債返還を請求する為にB未亡人を告訴した。
 
上の引用文は米国の大学の法学コースの試験にでも出てきそうな内容だ。
しかしこのままでは、A氏の敗訴に終わる。理由はA氏には借用書がないからだ。
借用書には日付けと金額、貸す人の名前、借りる人の署名、が最低限必要である。
借証書なしでは、法的には贈与と見なされざるを得ない。
 
上のA氏とB未亡人が誰であるか、ネット上のゴシップ記事を読んでいる人にはすぐ見当がつくはず。
 
しかし、ネット上では一方的な小室母子のバッシングが花盛り。
もっとも外部から入って来た皇室メンバーに対するバッシングは国民スポーツのようにすっかり定着してしまっているから、全く珍しくもないが。
 
その悲しいexcuse=言い訳は、皇室にふさわしくない人だということ。つまり、フツーより一段下を行く母子家庭の貧乏人出身だというのがしゃくにさわる、いうことらしい。
だから何としてでもこの逆玉シンデレラは阻止。
 
しかし、皇室一家だとて、まともに働いて食べている人はいるのだろうか?眞子さんのお父さんの功績は、男系の跡継ぎがいない、というので、危険を承知で妻を高齢出産させたことぐらい。欧州の王室ではジェンダーに関係なく一番子が王位を継ぐことになっているのに、恥ずかしい限りだ。
 
それから、パラリーガルは米国では立派なプロの仕事です。
 
追記: A氏は元商社マンとのこと。だったら負債のプロですよね。法的には取れない、ということわかっていながら、なにを今さら?
その上、A氏はB未亡人の亡き夫の親友だったとか!この事件、底からヘドロの匂いが漂ってきませんか?
皇室が絡んでいるので、B未亡人側は口を開いて弁明などはもっての他。
 
英国王室スキャンダルがよい例です。故ダイアナ妃の元愛人の一人が金に困って彼女からのレターを売ろうとしたところ、国民全体から、‟CAD”=卑怯者、とレッテルをはられ、追放同然になりました。
どうやらA 氏は ‟GENTLEMAN” とは程遠い方のようです。
 
 
 

平昌オリンピック遺憾 by 虫少年

❝平昌オリンピック遺憾❞はラップミュジックだが、本家に劣らないほどよくできてるらしい。
らしい、というのは拙者は韓国語が分からないので、英訳、日本語訳をあたったのだが、かなりの違いがある。しかし、日本語・英語訳はともにそれぞれ面白い。
 
下は英訳リフレインの部分であるが、黒人英語の言い回しを使っていて汚言葉の連発だ。
 
You better learn history again
You better learn how the world work again
You better get your brain washed
歴史を習って出直せ
世界の常識習って出直せ
脳ミソ洗って出直せ
 
 
F*ckin’ Pyeong Chang Olympics
It became Pyeong Yan Olympics 
ファッキン’平昌オリンピックは
今や平壌オリンピックになった
 
Pyeong Chang Olympics got f*ckin' screwed
Why the hell do you kiss North Korean A*s
Why the hell do you kiss fucking Kim Jung- un's Fat*ss
How the hell North Korean got the d*ck here
 
平昌オリンピックはファッキン'メタクソにされた
なんでアンタは北朝鮮のケツにキスしなくちゃいけないんだ
なんでアンタは金正恩のファッキン’ぶっといケツにキスしなくちゃいけないんだ
一体全体どうやって北朝鮮はここにちんぽこを持ち込んだ
(上のは英語では最も下品な表現の一つです)
 
英訳では、
you mother f*cker Ex militant protesting commies
マザふぁっかー昔の過激派デモやのコミ= ムンちゃんとその取り巻き
 
A mama with square jaw from North
四角あごの北のネーちゃん=金正恩の妹、頬笑み外交のマドンナ
 
You care more for North Korean bitches than your own country's athletes?
アンタには我国のアスリートよりも北の雌犬の方が大切なんだろう
 
とか、下品な言い回しで言いたい放題
 
 
下のは日本語字幕 と 英語字幕ですが、ENJOY!
 
 
 
 
 
最後に一言、
ムンちゃんのことだが
この人、散々悪口を言われて叩かれているが、彼のスタンスに立って考えるてみると、彼のやったことは、メイクセンス。
なにしろ、北の豚将軍を無視すると、どんな報復に出てくるか予想がつかない。ムカッとされてオリンピック中にミサイル砲撃でもされたら、もう戦争間違いなし。結果的にはその方がよかったかも知れないが。
とにかく北将軍様のご機嫌をとってショバ代を手みやげに持たせオリンピックを無事に終わらせたい、という彼の悲願、理解してあげるべきだろう。それを邪魔したのが、あの融通が利かないペンスと米の腰巾着アベだ。

Team USA と❝移民アスリート❞ 

Team USA とはUS オリンピック・チームのことだが、最近下に紹介する動画が出回っている。
制作元は AJ+ というユーチューバー。この人達には既成のジャーナリズムを打ち破り自分達で真実を追求していこうというという意気込みがある。
 
Face Book の原題は、‟Immigration Makes America Great”
もうおわかりのように、トランプの反移民スタンスのアンチテーゼ。
わずか3分以内、やさしい英語でUSを代表する6人の冬季オリンピック・アスリートを紹介。
 
#1 Chloe Kim スノーボードでゴールドメダリスト
父は自分の職を捨て娘をサポート、彼女は父の‟アメリカンドリーム”
泣けてきますな(拙者)
 
#2 Mirai Nagasu フィギュアスケート、米国女性選手で初のトリプルアクセル成功  しかし、このアスリートは過去に差別を受けたという暗い話が出回っております。
Go Girl !=がんばれ
 
#3 Maame Biney ガーナ、スピードスケート
#4  Nathan Chan 第五位でメダルを逃したが、フィギュアスケートのキャリアが終わったら、医者になる、と言っているのがすごい、さすが中国系。しかしまだ19歳だし、次のオリンピックもあるぞ。
 
#5  Thomas Hong 韓国生まれのスピードスケーター
 
#6  Alex & Maia Shibutani  アイスダンスで、ブロンズメダル
兄と妹のコンビなら、ケンカすることもない。
 
 
だがこの動画にはイシューが。
この中で Birth Certificate がないのは、#2、Maame Biney #5、Thomas Hong だけで残りは米国生まれらしい
米国生まれは移民ではない、Thomas Hong はソウルで生まれたが、その後米国に移住、育ったのも教育を受けたのも米国バージニア州である。 彼らは本当に移民なのか?

韓国の若者が見る北朝鮮とは

 

ユーチューバー(Youtubers) という言葉が最近流行っている。Youtubeで自分で作った動画をシリーズとして流している人達だ。アマチュアからプロ級まで、内容はいろいろだが、既成のニュースチャンネルより面白いことは確か。
その中の一つで人気を得ているのに、❝Asian Boss❞というのがある。 韓国系米人と日本語人の米人コンビがアジア系に様々なトピックについてインタビューをするという動画だ。
下の動画では、韓国の若い人に、北朝鮮についてどう思うかというインタビュー。
日本語字幕はセッティングで調整すると出てきます。
 
 
 
 
 
韓国の若い人々は、北朝鮮の存在に慣れてしまって危機感をあまり感じない。おかしいのは、北朝鮮を日本の地震に例えている女性がいること。東京での地震はしょっちゅう。ガタガタと揺れたあと、じゃ、ランチに行こう、というのと同じ感覚だとすら言っています。彼女の観察力にスゴイの一言。
それから、韓国の若い人達は、北朝鮮との統合を望んでいない。
もちろん長期的視点からすれば、統一は韓国にとって利益をもたらす可能性は充分あるが、しかし現実の北朝鮮、金王国独裁と洗脳された国民達と貧困、との統一事業は韓国にとって不利益をもたらす、という不安が大きいようです。
 
もう一つ別の動画で、統一はベトナム型かドイツ型か?というイシューが出ていました。ほとんどの韓国人はもちろんドイツで、統一後も貧乏国にあまんじているベトナムにはなりなくない、とのこと。
 
それから、このインタビューでも韓国語で「正直に言えば」というのを、ズバリ、日本語で『正直』と発音しています。この言い回し、韓ドラでも頻繁に出てきます。
そのほかにも韓国語にはよく日本語が混じっています。これは植民地時代の置き土産か、それとも中国語からか?拙者には判断つきかねますが・・・