chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

貸座敷から慰安所へ: 帝国陸軍の公娼制

前回の‟1000円ピザ”について、ベース(米軍基地)のピザの値段も同じくらい、というコメントをいただきました。米軍のベース内には廉価な食料品・衣服・日常品スーパーをはじめ、映画館、クラブなどがありますが、このような兵士達の福利施設は旧日本軍でもありました。公式には酒保と呼ばれていました。今のコンビニみたいなものでしたが、名前の通り、酒も売っていて、兵卒たちのちょっとした息抜きの場であったとのこと。
 
以下は昭和期の帝国陸軍における酒保の主要販売品目・メニュー。
  • 日用品(手拭・タオル・ハンカチ・塵紙・裁縫道具、等)
    • 衛生用品(石鹸・洗濯石鹸・歯ブラシ・歯磨粉・安全剃刀・仁丹便所用巻紙星秘膏・サック、等)
    • 筆記具(鉛筆・色鉛筆・ペン・筆・インク・墨汁・消ゴム・葉書・便箋・封筒・ノート・半紙、等)
    • 小物(貴重品袋・石鹸入れ・歯ブラシ入れ・風呂敷)
    • 衣類(各種シャツ・袴下・褌・猿又軍手袋・軍靴下、等)
  • 軽食・つまみ(うどん・そば・おでん・すいとん・豚汁・稲荷寿司・味付海苔・佃煮・漬物・肉/魚缶詰類、等)
  • 菓子・甘味品(アンパン・キャラメル・チョコレート・ドーナツ・羊羹・饅頭・大福・ぼたもち・汁粉・飴・煎餅・あられ・豆菓子・果物缶詰類、等)
飲料(ラムネ/サイダー・カルピスどりこの蜜柑水・ミルク・コーヒー・茶、等)
赤字のサックは、コンドームのことで陸軍では「突撃一番」と呼ばれていました。海軍では「ゴム兜」ですから、両軍のキャラの違いが感じられるようです。
同じく赤字の星秘膏はチューブに入った性病防止クリームです。使用方法は、インターコースの終わった直後にまず、おしっこ、次にチXXXのEXITあたりをよく洗い流し、それからこのチューブを差し込んで、中身をギュッと注入。もちろん当時は抗生物質はないので、成分はヒノゾール、抗真菌薬です。要するにカビ類だからカンジタ等によるイースト感染尿道炎にはききますが、梅毒、淋病、軟性下疳という政府指定の花柳病には効果なしです。
実は上の二品、今日でも当時の残りが売買されています。日本だけでなく、日本軍の置き土産はヴィンテージとして台湾で人気があるようです。
Image result for 星秘膏とは
 
酒保にはいろいろあって、楽しそう。それに、払いは給料日ごとに天引してくれたそうです。支払規則は部隊によって多少違っていたということです。
 
「慰安所は衛生的なる共同便所」、と軍に出した意見書に書いたあの麻生軍医さん、北支派遣の後、次に太平洋のラバウル島に送られ、著書『ラバウル日記』ではサイダー、キャラメル、羊羹などを酒保で買っていたことを几帳面に記録されています。
1937年の7月、第二次上海事変が起こる直前に、帝国陸軍は日露戦争時以来の酒保規定を改定し、慰安所を公式に陸軍の福利施設に加えました。これは中国大陸占領を念頭に置いてのことだったようです。公式の名は‟特殊慰安所”とされています。この改正された規定書は、ある人気ブロガーによって公開された公文書類の中から発見された、という情報を得ています。
 
>この改定版規則では
中隊以上の駐屯地に衛生的かつ廉価な軍人軍属専用の慰安所開設の許可を与えています。この部隊では直営ではなく委託経営することとなっています。建物、及び、消毒設備、コンドームなどの医療品は軍が装備する、食料は野戦酒保から払い下げる、売上金額は軍からまとめて払う、というのですから、軍から指定を受けることになった委託経営者にとっては笑いが止まらないくらい儲けが見込める商売だったに違いありません。もちろん、客が多ければ多いほど、慰安婦の取り分を少なくすればするほど、儲けは増すことになります。
 
同年の1937年12月、南京占領の直後、から1938の初めに帝国陸軍は大体的な慰安所開設に一挙に突き進んで行きます。前に書いたように、南京占領の強姦・民間人虐殺ニュースが世界中に広がり、帝国陸軍の威信が世界的に傷ついた、軍規を正せ、と天皇から咎められたというのが、英語圏でも理由としてあげられていますが、その可能性は非常に高いと私は思っています。
当時の慰安所設置計画の中心は上海領事館でした。ここで、素性の確かな委託業者、つまり遊郭業者を選び、彼等委託業者は日本国内の貧しい地帯に女衒を派遣し、女性を集めようとしました。
下は上海領事館から長崎県水上警察署に充てた手紙です。
 
 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件

 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
 
注目すべき点
陸軍施設の一端として前線各地に慰安所を開くことになった、
>その慰安所は公娼法で規定されている貸座敷である、
 
と明確に書かれていることです。
 
だから、アベ内閣の御用学者達が主張している、慰安所は個人経営で慰安婦は軍に同行するただの売春婦、というのは今日では誤った仮説であったことが明確になりました。
前回の慰安婦=公娼=性奴隷で説明したように、公娼法は、国際社会に日本には性奴隷はもはや存在しない、ということを明確にするのが目的でした。しかし帝国陸軍は公娼法は売春の合法化という視点から、従軍慰安婦を全員強制的に娼妓とさせて前線の貸座敷である慰安所に動員してしまったのです。
 
この前線での慰安所設置スキームについては、帝国陸軍の独断であり、時の日本政府は関与していなかったのではないか、と私は思っています。
強姦の増大は皇軍の名を辱めることになる、、当時の帝国陸軍は天皇の総帥権を盾に政府のいう事は聞く必要なしという横暴ぶりからして、ありそうなことではないでしょうか。

1000円ピザ 万歳!

 

 
上のは米国の誇る庶民のスーパー&デパート、‟ウォルマート”の姉妹ストア、〝サム”で買った特大サイズピザ、$8.95=約1000円ぐらい?でした。庶民のスーパーというのは、値段が安い、質が悪い、ということです。ほとんどがメイドイ・チャイナかインドネシア、ホンデュラス、品物はすべて使い捨てと考えた方がいい。つまり安いだけがとりえ。 味はOK.実は‟砂漠の何でも屋の嫁さん”こと『リツコさん』のブログで、ウォルマートで買った$5ドルのピザのトッピングが少なすぎる、という苦情を思い出し、姉妹店にふと出かけたおりに買いました。
下が彼女のブログアドレス。彼女の住んでいるモハべ砂漠は、米軍の砂漠戦闘の訓練基地があるところです。メタすごい。
実はかなり前ですが、偶然一人置き去りにされた兵士が亡くなっていました。
                     
          

ISIS アメリカ人未亡人:何が彼女をそうさせたのか?

今、ISIS未亡人サマンサ・エラサニはシリアのクルド軍の刑務所からメディアを通して母国である米国の人々に懇願している。
私の子供4人をぜひアメリカに帰してほしい、そしてマクドで家族揃ってハッピーミールを食べさせて、と。
事実は、去年の八月、彼女の息子(下のフォト)がISIS のプロパガンダビデオに登場、完璧なアメリカンイングリッシュで、トランプ大統領をユダヤの操り人形、すぐにアメリカ国内でジハードが起こる、とISIS の首都ラッカの廃墟にたたずんでの怖ろしい予言。
それで、この子は一体どこから、ということになっていたのだが、西側の報道陣はラッカ陥落後についにこの少年の消息を突き止めた。
 
Image result for isis widow samantha
 
この少年の名はマシュウ。そして母はISIS未亡人のサマンサ・エラサニ、インディアナ州出身の米国人。
夫のムサはモロッコ国籍。サマンサによれば、二人は2011年に米国で結婚、ビデオで一躍有名になったマシューは彼女の連れ子だそうだ。このカップル、米国では、妻はBMW、夫はポルシェを運転し、何不自由なく暮らしていたという。ところが、夫がモロッコに帰ってビジネスをしたいというので、かなりのまとまった金を香港で送金、それからトルコで家族揃っての楽しいバケーション、そしてシリアのISISの首都ラッカへ。サマンサは夫がISISジハードになるつもりだったとは最後まで知らず、土壇場で反対したが、もう遅すぎたとのこと。その時、一家はこのマシュウと二歳の女子を連れていた。サマンサはラッカでさらに二人の母となったから、かなり忙しい生活だったと思われる。
しかし夫のムサは去年無人爆撃で死亡した。この未亡人、実は夫の生前に一緒に奴隷市場に出かけ、Yazidi 人の未成年の少女2人と少年1人を買った。最初に買った少女にはおよそ100万円払ったそうだ。 Yasidi人はイラク・シリア・トルコに散らばって生活している少数民族グループで、彼らの宗教はイスラーム以前の古いものであることから、異邦人として聖戦の敵となった。
二人の少女は夫ムサの性奴隷となった。
しかし、彼女は、私は彼女らにとって母親のような存在で、むしろ彼女らをかばったと主張。
避難民キャンプでくらす彼女の最初の奴隷だった少女は、その通りだ、とビデオで述べていた。
 
しかし、世界の反応も米国内での反応も一応に彼女に冷淡である。大部分は、拘束中のシリアで裁判を受け、そこで服役するべきだというのだ。
 
このISIS未亡人ストーリーは日本人慰安婦を想い起こさせる。ご存知のように、今日に至るまで誰も名乗り出てきていない。かなりの数の女性が人身売買ネットワークによって慰安婦業を強要されたにもかかわらず。
最近ではそのミステリーが慰安婦研究のフォーカスになっている。あの千田夏光も一枚かんでいるようだ。彼の本では、日本女性慰安婦は日本人という立場を使ってむしろ朝鮮人慰安婦を差別する側にまわっている、というのだが、真相はどうだろうか?

財務次官のセクハラ疑惑:差別は続くよいつまでも


Image result for sexual harassment

 
❝Zero Tolerance❞ とは現在米国のすべての官公庁からセクハラを一掃するポリシーを指す。職場でセクハラする人は、ポジションや給料の大小に関わらず誰でもクビである。職場では必ずセクハラ防止トレーニングを実施している。
 
財務省の福田次官のテープに録音された声は疑いもなくセクハラの証拠である。
私も長い在米生活の間に数回ほど雇用関係専門の弁護士に相談したことがあった。その時に、秘密に録音することを勧められた。私の良きクリスチャンの友人はいつもペン型のミニ・レコーダーを首からぶら下げている。職場のパワハラには絶対に負けてはいけない、というのが理由だそうだ。
 
ところでこの事件の被害者は一年半ぐらい前から福田次官のセクハラ・トークのターゲットになっていたという。今回思いあまって録音したというのだそうだ。 
一方セクハラ容疑者の反論として、酒に酔っていたから、ということもできる。酔っていれば正常な判断力の停止が起こるから法的責任は問われない。だから米国では酔っぱらい運転が大きな社会問題となっている。
もう一つは、被害者の女性記者は彼の下で働く職員ではない、ということがある。だから職場での加害者被害者の関係は成立しない。
 
しかし、公開された録音からすると、抱いてもいい、とか、縛って欲しい、などの懇親会という公的席上での福田氏の口調は猥褻そのもので、政府のトップ高官として全く不適切。その上、録音された自分の声を自分の声ではない、と奇妙なウソをつき、自分が次官でいると仕事ができないので辞職、ときた。自ら辞職すれば国家公務員トップとしての年金がついて来る。本当に日本の国民は官僚になめられている、としか言いようがない。
 
私は歴史趣味として、慰安婦関係の日本語、及び英語の本や記事、論文などをかなり読んだのであるが、この問題、慰安婦の誕生の根底にあるのは、江戸から明治以降の女性差別の根の深さ、という認識を得た。もちろんそれだけではない。それと対になっているのは、人権という考えの欠如であり、旧日本軍は人間虐待の宝庫みたいなところだったと認識するにいたった。 
 
ある人気ブログで、日本の男は息をするように女性差別をする、というのがあった。当たらずとも遠からじ、かも知れない。

慰安婦=公娼=性奴隷:娼妓取締規則による売春の合法化

❝当時は公娼法があり売春は合法ビジネスだった。現在の価値判断で当時を裁くべきではない❞
 
上の主張は秦郁彦を先頭とする日本のネトウヨ学者達の、慰安所の一体どこが悪い!という反論の根幹をなしているものです。確かに明治33年(1900)の公娼法は日本国内での売春の合法化に間違いありません。しかし今日の私達はその条文を読めば読むほどずいぶんおかしな点に気付くはずです。イシューはこの法の目的です。この法は売春を合法化しながら一方では人身売買を一切サポートしないという明治政府からの性奴隷産業界に対する縁切り状になっているという事にあります。
 
前回は明治5年10月(1972)の‟牛馬解き放ち令”について触れましたが、実際にトリガーとなったのは、同年7月にペルー国籍のマリアルス号が中国本土からクーリー達を奴隷船のように船底に押し込めて輸送していたのを日本政府が横浜港で待ったをかけたという事件です。明治政府高官は同じ東洋人である中国人がまるで奴隷船の黒人奴隷のように扱われているのはけしからんと主張、日本中が人権蹂躙だとホットになった事件です。ところがお雇いイギリス人弁護士が、何をいうか、日本にも前借金に縛られた性奴隷がいるではないか、と反論逆襲したのがこの芸娼妓解放令の理由です。
しかし、その根底には、身売りは人倫に反する、という日本人の信念があったという事実は疑いようがありません。
 
注:このマリアルス号事件はたくさんのネトウヨがブログ記事で、誇るべき日本、というテーマで拡散させていますから、ネトウヨならこの事件に詳しい筈。しかし、どうしたわけか、例のイギリス人弁護士の反論については記事では一言も触れていないのが特徴です。
 
明治政府は芸娼妓解放令を出した後は、この事項については、府県に任せるということで手を引いてしまうのです。明治5年ですから、欧米式の法が何であるか知る人もいない時代と言ってもよいでしょう。
 
明治政府は明治22年(1889)に帝国憲法を発布しました。
政権交代からわずか20年で欧米の法を修得適応、法的には天皇を頂点とする欧米もどきの近代的立憲君主制を見事に作り上げたわけでこれも私が明治時代を高く評価する理由の一つです。
 
欧米化をさらに促進するため、華やかな鹿鳴館時代の到来となりました。ここでの欧米スタイルの夜会では政府高官達が全く不慣れなレディファーストもどきでなれない舞踏服の妻たちをエスコートし、ぎこちなくダンスまでしてみせ、欧米の外交官達の失笑をかっていたのですが、これほどまでに明治政府の高官達は必死だったのです。
 
憲法発布よりおよそ10年遅く、明治31年(1998)には待望の民法が施行されました。これにより帝国は欧米並みの法治国家の仲間入りを果たしたのです。
 
その中の民法90条では
公的秩序または善良な風俗に反する事項 を目的とする法律は無効とする❞
 
となっています。売春は法的には醜業、すなわち善良な風俗に反する稼業です。だから民法では売春を肯定することを前提とする判決は無効と言っているわけです。この条文が後の前借金の返済義務についての違法判決の決め手となるわけです。
 
さて能書きが長くてすみません、本題の公娼法と呼ばれれている明治33年(1900)の娼妓取締規則に入ります。この法のテーマは何といっても法的醜業としての娼妓稼業は本人の厳密な自由意思にのみもとずくという事です。
 
娼妓は18才以上、志願者は所定の書類をすべてそろえ、指定の場所で健康診断を受けた上で所轄警察署に出頭し、娼妓稼業を自由意思で行うことを明らかにし、娼妓として登録されてあらかじめ特定された貸座敷=遊郭でのみ売春ができることになったのです。娼妓自らが警察署に出頭というのは、志願者の意思を本人に直接確認することが目的でした。
また廃業の際には、娼妓が警察署にてその意思を筆頭か口頭で伝えるだけで即娼妓登録から削除される規則になっていました。
これは当時に遊郭の女郎となるような女性は教育程度が低く字が読めない書けないことが普通であったのを政府側はちゃんと知っていたからです。
この娼妓取締規則では、本人の廃業意思に対する妨害行為については罰金や懲罰が課せられることとされています。
公娼法で明確なのは、人身売買=前借金及び消費債務を理由に身柄拘束し売春をさせるという遊郭の商売のやり方にはっきりと法的歯止めがかけられた、ということです。
これでは秦郁彦の主張するような❝売春の合法化❞とは意味がずれているとしか思えません。
 
実はこの法の出た明治33年(1900)頃には、国内での遊郭は人気をなくして凋落時代を迎えていました。人倫に反する上に、時代遅れ、暗すぎる、と見なされていたのです。代わりに出てきたのが、今日の水商売の元祖ともいえる、料亭兼連れ込み宿に当たる待合、今日のホステス・バーの先祖、カフェです。これらは公娼法を全く無視したもので違法売春です。しかし政府側は全く取り締まる気もなかったようです。
だから、今日の水商売の感覚で慰安所を考えるのは歴史の誤解だと私は思います。ひょっとして、現在の価値判断で当時を裁くべきではない、というネトウヨの主張はマジで当たっているかも知れません。
 
それでは一体どうしてこの斜陽産業化した公娼制がおよそ30年後に慰安所として戦地にぞくぞくと現れたのか、凄い疑問だと思いませんか?
しかも娼妓取締規則のコアである自由意思による売春の部分は慰安所制度では全くカットされているのです。
 
下は台湾の台北市に残る遊郭跡です。日本占領下に開店しました。
Image result for wenmenglou

私の孤独 Ma Solitude : ジョルジュ・ムスタキ 

Non, je ne suis jamais seul, avec ma solitude
いや、私は一人ぼっちじゃないよ、いつも私の孤独と一緒だから。
 
本当に申し訳ないのですが、これも今は昔、ジョルジュ・ムスタキが歌い、日本でも大ヒットしました。日本のヒットドラマのテーマソングとしても使われました。日本語字幕は下のMVについておりますから、意味もよく分かることと思います。
このMVを作った人をはじめ、日本でもムスタキの熱心なファンの方、まだまだ多いのですね、安心しました。
この歌、今、深い孤独感に浸っておられる方々へお届けしたいと思います
 
myImage result for 私の孤独
 
 
 
 
ムスタキさんの曲は本当にいいですね。懐かしいの一言につきます。
私もムスタキさんが大好きで、昔彼のアルバムしっかり持っていました。日本を離れる際に泣き泣き神田の古レコード屋さんに置いていきました。
彼の最初のヒット曲、『外人』でもおわかりのように、ムスタキさんはフランス人ではなく、さまよえるギリシア人です。
だから、彼のフランス語、一語一語がわかりやすくて、私のような外国人には耳にやさしいフランス語でした。
 
ただ、また例によって、日本人の理解は少し違うのです。日本の人は村八分を恐れ、従って孤独を必要以上に深く考え過ぎているように見えます。
 
ある日本女性がフランス男と知り合いになり、すっかり彼に夢中になりました。彼女によれば、‟je suis seul” (=私は独りぼっち)という彼の最初の言葉に同情し、孤独な彼の姿にすっかり惹かれたんだそうです。
ああ、またかいな、というのが私の率直な感想。これぞまぎれもなく‟おフランス病”の初期症状。
このフランス男の言わんとしたことは、俺はもっか恋人がいないから、どうだいっちょ試してみないか、という意味なのですがね。
 
この歌は振られた時の、アンタなんかいらねーよ、どうせオイラは一人モン、という口惜しい気持ちにピッタリではありませんか?

慰安婦=公娼=性奴隷 : 牛馬解き放ち令

Image result for japanese prostitute
 
 
 
以前は、政府の関与はなかった、というのが慰安婦否定派の大きな理由だったのですが、あの安倍内閣の日韓慰安婦合意(2015)で安倍政権があっさり日本政府の関与を認めてしまい、安倍に裏切られたネトウヨは一時沈黙を余儀なくされたのです。
 
最近、その代わりとして、慰安婦は性奴隷ではない、というのが出てきました。根拠は売春婦として金を貰って商売していたから、というもの。安倍政権もちゃっかり鞍を乗り換えて、韓国政府代表が、慰安婦は性奴隷、と口に出す度に、抗議をくりしているわけです。しかし、慰安婦=性奴隷、は歴史的事実であり、日本人に対する悪口ではないのだが、なぜそれか理解できないのでしょうか?
 
この、慰安婦は性奴隷、の言い出しっぺは、実は、国連人権調査員だったクマラスワミ弁護士でもマクデューガル弁護士でもない、実は日本人なのです、しかも明治政府の初代司法卿であった江藤新平です。
 
幕末の志士から身を起こし最後は梟首刑に処せられた江藤新平の悲劇的生涯については是非ご自分でお調べ下さい。
 
明治政府というのは必要なものは何もかも欧米列強がらコピーし、彼らに追いついて彼らの様に植民地を領有し国を豊にすることにゴール・セットした政権でした。だから無数の外国人教師を破格の給料で招聘、日本から留学生を続々欧米に送ったのですが、その費用も開国したばかりの貧乏国としては非常に高くついたのです。しかし、それは見事に成功しました。
戦後に雨後の竹の子のごとく現れたのアジア・アフリカ新興国が米ソの経済援助競争に関わらず見事に失敗したのを覚えていますか?そう考えると、明治の日本人の優秀さにはただただアタマを下げるのみです。
 
慰安婦は公娼あるいは占領地での公娼もどきです。もどきというのは、軍隊付属の売春婦を正当化する目的で内地の公娼制度を適当に当てはめた苦肉の策ということです。
公娼とは明治33年(1900年)の娼妓取締規則で明治5年(1972)の江藤新平の芸妓娼妓解放令以来、国法によって合法化された売春婦をさします。
 
ネトウヨは慰安婦は公娼で合法、だから性奴隷ではない、と奇妙な主張をしているが、日本の公娼制度は単なる売春ではなく人身売買の性奴隷制度でした。
 
人身売買とはあらかじめ業者がブローカーを通して前借金を渡し、その前借金を遊郭に住み込んで年季奉公や自分の取り分から返すという契約を結んだため、当事者の売春婦は年季明けか借金が払えないうちは遊郭に監禁され、客とのセックスを強要されたわけです。 強要セックスの中には、生理日、感染症、感染症の客、一時間割り当てのミュルティプル・セックス、等も含まれています。
 
もちろん明治政府がモデルとして仰ぎ見る欧米列強国は、日本のこの人身売買(=human trafficking)を土台とする売春制度を事実上の奴隷制度とみなしていました。
明治5年(1972)に起きたマリアルス号事件で、欧米から日本の性奴隷制を名指しで嘲笑された時の明治政府は、江藤新平の陣頭指揮下、即、芸娼妓解放令を出し、人身売買は人倫に叛く道、とし、それまでの前借金契約を無効にしてしまったのです。
 
その直後に出された司法省通達22号では、
 
娼妓芸妓は人身の権利を失ったもので牛馬と異ならず
人より牛馬に物の返済を求める道理なし
 
と書かれていましたから、日本人も人身売買は奴隷制と見なしていた事がわかります。
それ以後も日本政府のこの見解は決して変わっていないのです。
明治33年の公娼法とは、人身売買に歯止めをかけるのが目的の一つだったのですが、ネトウヨの歪曲された理解力でも明らかなように、なぜか全く逆の解釈がまかり通っているのです。
なぜでしょうか?
 
 
Image result for japanese prostitute