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chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

花柳病と慰安婦

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花柳病と慰安婦  

日本の古本市に行ってきた。これは地元の日本人団体によるものだが、何とそこで見つけたのが、千田夏光著『従軍慰安婦』19741984年に再版された文庫本だが何しろ古いせいかページは黄ばんでいる。それにほとんど読まれた形跡もなかった。私は5ドル(=500?)を寄付してこの本を貰って帰ったという次第。

 

著者の千田夏光は、ネトウヨ衆から“従軍慰安婦”という用語の生みの親というたいへんな名誉光栄を与えられている人である。

千田氏は元新聞記者らしく取材力を駆使し日本軍の恥部としての慰安婦達の全体像描き出すことに成功している。これは秦郁彦も同意見である。ただし、秦先生は、『千田氏のこの本は日本では社会的に問題となることはなかった』(戦場の性より)、と千田降ろしに余念がない。

 

しかしながらこの千田氏は慰安婦問題の先駆者として国際的にも高く評価されている。彼の名は慰安婦問題をテーマとした英語論文や記事に頻繁に言及されている。それには理由がある。ジャーナリストとしての千田氏の感はやはり凄いものがあった。それはこの本の冒頭部で『花柳病ノ積極的予防法』という麻生徹夫という名の元陸軍軍医が上海で1939年に陸軍に提出したいわゆる“麻生意見書”の全文を紹介したことだ。

千田氏による本文中の麻生意見書の公表によって慰安所が陸軍兵站部によって設立されその管理下にあったということは歴史的に確立されてしまった。

 

陸軍側の目的は、各部隊に慰安婦を配置することで日本兵による現地女性を狙ったレイプの暴発をなくし、性病の蔓延防止を図るという一石二丁を狙ったものだった。

海外派兵を期とした性病の蔓延は日本軍だけのものではなく、欧米独の軍隊でもこの現象に非常に手を焼いていた。第一次・第二次はその典型的な例なのである。その根底には外地に派遣された兵士達の婚外性行動の活発化がある。当時は兵士達の相手はほとんどが売春婦であったということが性病問題の主要な原因と見なされていた。ここで断っておきたいのは、兵士達の性活動の活発化は必ずしも日本的な、女に飢える、ということではない。第二次世界大戦における大きな、しかし、完全に見過ごされている兵士達の性活動のポジティブな結果は、大量の“戦争花嫁”の出現だと拙者は思う。これは日本だけではない。ドイツでは、第二次大戦で相手がいなくなった為、ドイツ女性は進駐軍と結婚するより選択がなかった。私はこのような現象を死と向き合った人間のサバイバル本能に関係があるのではないかと思っている。

しかし日本軍は問題解決方法として、近代国家の軍隊としては唯一の慰安婦制度、つまり売春婦付軍隊を作り上げてしまったのだった。レイプにはレイプ、というわけなのだろうが、おかげで1998年のマクドゥーガル弁護士による国連人権委員報告書で。慰安所は“レイプセンター(rape center)”慰安婦は“セックススレーブ(sex slave)”という性格付けがなされてしまった。それ以来、これらの名は日本軍の慰安所・慰安婦の別名として世界中に広まってしまったのは皆周知の事実だ。。 

 

この麻生意見書の英訳は『史実を世界に発信する会』という“究極ネトウヨ団体”によってネットに掲載されている。誰でもアクセス可能である。この英訳は非常によくできている。外国の慰安婦問題研究者は必ずこれを読んでいるはずだ。

それを知ってか知らずか、『史実を世界に発信する会』はそれでも日本軍の介入はなかったと主張しているのだから、もう支離滅裂だ。国際的にネトウヨ慰安婦説が全く相手にされない、というのはこういう点に原因がある。

 

1937年の日本軍による南京攻略は“南京大虐殺”、南京レイプ”と呼ばれたちまち世界中から非難を浴びた。そこで陸軍は即急に、北九州及び朝鮮半島から婦女子を集め、 19382月に軍兵站部の直接経営による慰安所を開いた。

本文中の千田氏の取材でも明らかなように、北九州では一律千円の前借金が女達に支払われている。

しかし朝鮮半島で女達に支払われた金額は不明である。ほんの一部が彼女達に、残りは仲介人達の懐に入ってしまったことは充分予想できる。朝鮮半島の女性達は、玄人の日本女性と違って日本式淫売稼業については全く無知の素人女性であったから、ほんの少しの金と引き換えに我が身を売ってしまったようだ。これは後の韓国人慰安婦の証言と一致する。

麻生軍医は1938年、最初に上海の陸軍兵站部に輸送されて来た慰安婦100人余りの“検梅”を命じられた。これらの女性は陸軍が上海に開いた最初の直営慰安所に配置されることになっていたのだ。

断っておきたいのは、検梅は健康診断ではない。

慰安婦達は週一回、検梅を強制的に受けさせられた。

これは女達の陰部視診のことである。目的は、陰部に発生した初期梅毒の症状であるしこりや潰瘍を発見することだ。ただし、麻生医師のような産婦人科医が担当するということはむしろ稀であった。一般の軍医にとっては全くお門違いの分野なので、効果という点ではやや疑問が残る。

慰安婦が重病に陥った場合は仕事は続けさせられた。病弊して最後は死を待つのみという全く打ち捨てられてしまうのが通常であったようだ。

麻生医師は、北九州から送られて来た本土人慰安婦20人は売春稼業従事者であり、その中には、明らかに軟性下疳に感染し、そけい部にリンパ節切除をした後の大きな傷跡のある者もいた、と述べている。本土女性達は40歳の年長者も含めて他80人の朝鮮女性と比べてはるかに年増であり、身体も酷使されていた。長年に渡って金で身体を縛られ売春稼業を強いられた上、生き地獄から抜け出る最後のチャンスにかけたこれら底辺の女性達を麻生氏は“アバズレ”と呼び、皇軍将兵への贈り物としてふさわしくない、とこき下ろしている。

千田氏はこの麻生氏の意見について、医者としてよりも皇軍兵士としての麻生氏の言葉だ、と解説していた。

麻生医師は九州大学で西洋医学を修得した産婦人科医師であり婦人の性病の専門家でもある。他の専門を異にする軍医達には彼ほどの経験知識及び性病防止に対する情熱があったとはとても思えない。だから産婦人科医としての麻生軍医の意見書は非常に貴重な資料なのである。

 

ところで麻生元軍医の方は、千田氏のこの本によって、朝鮮女性慰安婦連行の主唱者だとか、慰安婦共同便所説の元祖だというレッテルを貼られて世間から非難を散々浴びせられ大変不快な思いをしたようだ。

前述の“皇軍将兵への贈り物”という彼の言葉は世界中を先走り“ A Gift of the Emperor”という慰安婦を主人公とした小説のタイトルにまでなってしまった。

しかし麻生氏については、意見書や上海日記で彼の特異な歴史的体験を保存し後世の私達に貴重な資料として残してくれたことで感謝されるべき人である。

 

 花柳病というのは、梅毒・淋病・軟性下疳の性病三点セットを指している。

花柳界とは女郎屋や売春窟などの淫売業界全体を指す言葉であるから、花柳病とはそこで感染する病気ということになる。現在でも売春婦の性病感染率は非常に高い。売春婦の職業病は不妊症であるが、これは膣からの細菌感染が生殖器にひろがったのが原因とされている。性病感染は不特定多数との性交で必ず起こると言われている。だから売春婦が感染の被害者となってしまうことは避けられない。

つまり慰安婦は性病感染の強い危険に晒されたということだ。特に一日に10人や20人相手をしなければならないという状況ではなおさらのこと。

有効な予防策がなければ彼女達が性病に感染してしまうのは時間の問題であった。

 

軍隊で性病感染が大きな問題とされたのは、兵力の損失につながるからである。

梅毒に感染して10日ぐらいで局部に無痛のしこり状のものが出来、それが潰瘍化する。そして日数を経ると全身に発疹があらわれ、発熱、痛み、気分が悪くなるなどの病状を伴う。その期間は兵役には適しないことはあきらかである。

その後は病原菌は体内に潜伏、体内器官を蝕んでいくので慢性疾患となる。病気が進行し脳梅毒になると精神異常の症状が顕著となる。体外的には肉瘤が身体の随所に出現、顔や体が醜く変形していまうケースが多く見られる。

淋病については男性の場合は、感染後痛みを伴う尿道炎が発生、悪化すると、睾丸が膨れ上がりタンタン・タヌキとなる。これも決定的な治療薬がないので、基本的には症状がおさまるのを待つより他はない。

軟性下疳はそけい部のリンパ節にぐりぐりが出来、さらには、腫れ上がり皮膚が破れてそこから膿が出てくる。これも痛みとか熱、気分の悪さと伴うから、その期間の兵役は無理だ。濃化した箇所は切除が必要となる。だから、これにはかなりの治療を要する。当時は抗生物質がないので、いかなる手術にも常にばい菌感染のリスクが出てくることを忘れてはならない。

当時の米軍では、淋病に感染すると30日、梅毒は6ヶ月の病院治療が必要とされていた、日本軍もほぼ似たようなものであったと思われる。

性病感染によって病院滞在を余儀なくされる傷病兵が増すことは戦力の喪失につながる。日本軍は特にそのことで危機感にかられていたと言われている。