chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

パリ、ただよう花 その2

私達は違い過ぎる、別れよう、とついに花女が言出だしたところ、すっかり逆上したマチュー君は別れるくらいなら死ぬ、といって花女のアパルトマンのベランダからはるか下に向かって飛び降りようとするのである・・というように屑人間と関わると普通では考えられないトラブルに次々と見舞われるというのもこの映画のモチーフの一つのようである。

 

スクリーン上の二人のしかめっ面が映画の評判を決定的に悪くしている。特に花女の泣きっ面に蜂のような表情が映画を必要以上に暗くしているというのだ。主人公の花女は受身ばかりで性格がはっきりしない、ということも酷評の一部をなしている。

 

では、この映画の真の主人公、花女とは一体何者なのか?

 

主人公は28歳の北京からの留学生で、“花”は映画の中では中国語の“ホァ”と呼ばれていた。

映画の前半ではセックス描写が中心をしめ二人の背景はよくわからない。しかし、花女がトラブル人間のマチュー君と別れて北京に舞い戻ったところから、彼女の過去がやっと浮上してくる。

 

花女のフランス留学は自由を求める為であったことがわかる。

花女は北京では年上の大学教師の中国人男と同棲していた。しかし、彼女にはフランス人の恋人もいたのだ。その恋人がフランスに帰ってしまったので後を追ってパリに留学を果たしたのだった。だがその間の詳しい事情は全く明らかでない。この中国人教師が花女のフランス人の恋人の存在を知っていたのかどうかも含めてだ。

 

私が驚かされたのは映画の中での共産中国の男女関係だ。男は30歳女は27歳以上の晩婚奨励に子供は一人、という政策から生まれた若い男女の姿は欧米とさほど変わりがない。

 

パリから帰国した花女は別れたはずの中年の大学教師のアパートにあまりこだわりもなく再び転がりこんでいる。しかし何しろ狭い。彼女がベッドルーム、男はリビングルームで暮らすということに。花女を忘れることなく彼女をずっと待っていたという男の献身ぶりにまず目を見張る。しかしこの男にも別のガールフレンドがちゃんといた。その女にある晩突然押しかけられた。花女はフランスで皆と寝て今度は自分の男を奪い取った、と凄い剣幕だ。しかし欧米の男とは違いこの中国男の方は自己の不忠実さを謝罪などはしない。花女の通訳としての成功がこの男の勤めている大学の学長の目にとまり、そこの教員にしてやると言われたら、ほくほく顔でさっそく花女に結婚を申し込む。

一方の花女は、この男を愛していないことを知っていながらいとも簡単に結婚を承諾してしまうのだ。

 

実はこの映画の冒頭シーンが主人公の花女の隠された性格を象徴しているかのようである。

 

この映画は、花女がパリに到着するや北京で恋人だったフランス男を地下鉄駅前で待ち伏せし口論に及ぶ場面からはじまる。

花女はこの男に、あんたを追ってわざわざパリくんだりまできたのにあんたは全く私を無視するつもりなのか、と吊り上った目を一層吊り上げて怒るのだ。

しかし男の方は、北京ではアンタを愛していたが今はぜんぜん愛していない、関心も全くないのでアンタにさく時間はないのは当然だ、と全く冷淡。

しかし、花女はそこでしつこく食い下がる。

 

私を愛していなくて結構、とにかくもう一回だけセックスしよう!

 

これは凄い。彼女のように言い返す女性がどれだけいるだろうか?

この一言で彼女が全く独立した女性であることが分かる。しかし後に続く無表情さや泣き顔が受身のオリエンタル女性というイメージを強調することになった。 

 

ところでこれにはさすがに元恋人の男も呆れ顔。

愛していないのにどうしてセックスができるのか、やりたければ自分の恋人とやれ、と辛らつに言い返すという次第。

 

パリ留学の真の目的が挫折に終わったことのショックで花女は放心状態に陥った。あてもなく街路をさまよっている内ににわか雨に打たれ街角のカフェに一時退避。そこでプチ・カフェと呼んでいるハーフカップサイズのブラックコーヒーと白ワインをオーダー。コーヒーの方には手をつけずにワインを飲んでその場で眠りこけてしまった。しかし、自分のシフトが終わるので料金を払って欲しい、つまりチップをよこせ、というそこのギャルソンにこずかれて無理やり起こされ、再び街路に。

 

地下鉄駅を通り過ぎた時に外国人の辻音楽師達が異国調のメロディを演奏しているのも印象的だ。ここは観光客の知らないもう一つのパリなのだ。

 

朝通り過ぎた時には人ごみでごった返してした市場はすでに閉じていた。そこで露店の組み立て解体に従事していたマチュー君の不注意から花女は彼の担いでいた長い建材のはしで頭部を打たれ路上に転倒。これも二人の関係を見事に暗示するするような出会いだそうだ。

 

二人の恋の破局の理由はあの自殺事件を契機にマチュー君がすっかり本気になってしまったからである。マチュー君としては男としてするべきことをしようとしたのだが、彼のちゃらんぽらんな過去が邪魔をした。何しろ彼はすでに結婚していたのだ。しかも子供までいそうな気配。相手はアフリカからのやはり移民女性。

彼女と結婚はしたが本当の結婚ではない、とまったく意味をなさないおかしな言い訳がマチュー君。

花女の方としてもこんなマチュー君を一生の伴侶として選ぶには一大決心が必要である。それは共産中国からの別離を意味する。彼女にはそれが出来なかった。母国での大きなチャンスが彼女に微笑んだことも理由であろう。

 

しかし花女はどうしてもマチュー君が忘れられないのだ。彼女はマチュー君を捜しにもう一度フランスに舞い戻るのだった。しかし皮肉にも最後のセックスで二人の愛は予期せぬ終末を迎えた。

他の男と結婚する女を愛することはできない!

男のセックスが看板のマチュー君はこの場で急性インポ症状に。ラブホテルのしけた一室で二人はただ抱擁するばかり。

 

カルチュアが先か個人が先か、という問いは、チキンが先が卵が先か、と同じことかも知れない。この監督の答えは個人にあるようだ。