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chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

旅の重さ

"Journey into Solitude" という映画を偶然youtubeで見つけた。日本名は『旅の重さ』1972.これは40年以上も前に製作された昔の映画。ネットの映画評によると、これが不朽の名作とは言いにくいのだが忘れられない映画の一つだ、というファンが多い。

 

ウィキによれば、この小説は作者の素九鬼子さんが誰なのか不明なまま1972年に刊行されたとか。

それがたちまちベストセラーになり、即映画化。しかし映画の最大の売り物は何といっても当時19歳の新人女優だった高橋洋子の全ヌード。

その上テーマソングは吉田拓郎の大ヒット、『今日までそして明日から』

まずそれが当たって大ヒットに。

 

私には若い頃にこの本を読んだ記憶があるのだが、映画まで見たいとは思わなかった。理由は本からあまりいい印象を受けなかったからだった。

 

『ママ、びっくりしないで、泣かないで、落着いてね。そう、わたしは旅に出たの。ただの家出じゃないのよ。』

 

という有名な書き出しでこの小説は始まる。しかし私には、これがもう一つの世界的名作、実存主義小説の金字塔であるカミユの『異邦人』の冒頭の句、

 

『今日、ママンが死んだ』、

を明らかに意識して書かれているように感じられたのだ。

 

実際こう感じたのは私だけではないようだった。主人公の異邦人的感覚が新鮮でみずみずしい、ともてはやされ、当時この小説は実存主義系だと一般的に理解されていたようだ。

 

ところで本家の『異邦人』は1967年にイタリアの人気美男男優を主人公に据えて映画化され世界的に大きな話題を呼んでいる。だからおそらくこの『旅の重さ』もその頃に書かれたものではないかと思われる。

60年代後半から多くの日本の若者がちょうどこの映画の主人公のように海外へ放浪の旅に出た時代でもあった。だから、主人公の少女の既存社会に全く捕らわれない考え方と行動が同世代の若者達からの強い共感を勝ち得たということもあった。

 

ところで私はこの映画を今回初めて見たのだが、どうやら私は原作を見事に誤解していたようだ。

この映画は大変な秀作である。理由は主人公の少女を通して“思春期の鬱”が見事に描かれているからだ。

 

思春期は人間の成長過程での最大の分岐点である。

理由は思春期は身体の熟成と密接に関連しているからである。性ホルモンの分泌は感情や判断力にも影響を及ぼすのである。

その上、思春期の少年少女達は心理的社会的変化を余儀なくされる。思春期は心理的にはエゴ、又はアイデンティティの確立、社会的には家族からの別離の準備期間でもある。要するに思春期の成功は反抗期といういささか暗いトンネルをくぐり抜け自分のパートナーを見つけて目出度く独立することにかかっている、ということになる。これがうまく行かないと、年齢的には大人でも心は未成熟ということになり、後に問題を起こしがちである。

 

この映画の主人公である16歳の少女は明らかに思春期の深刻な問題を抱えこんでいた。

 

この少女は、母が男のところにこっそり行ったまま帰ってこなかった、ということに腹を立てその朝家出を決行してしまった。彼女の突発的怒りとそれに続く衝動的行動というパターンは映画中でこの少女の行く先々についてまわることになる。

 

少女は母子家庭育ちである。映画のストーリーはこの家出少女が母に近況をしらせる手紙を元にして展開していくのである。ただし、母には住所は最後まで知らせない。

 

ママの口ぐせ、おまえが死んでくれたらどんなに助かるかも知れない、あんな感じで、私もママのこと、死んでくれればいいと思っている、

 

というおだやかならぬ内容からも察しられるように、少女と母の間には心理的葛藤がある。

映画では、娘の家出以来母は男を大っぴらに家に引き入れているし、無断欠席を心配して訪ねて来た娘の先生にも娘は親戚の葬式に行ってもらっている、としゃあしゃあと嘘をついているのだ。 だから娘の家出は母にとってはむしろやっかい者ばらいであったのかも知れない。

 

場所がら四国のお遍路さんになったつもりということで、白のTシャツに白のジーパン、それに、映画では運動靴と言っているが、当時流行していた白のバスケシューズという、四国の地方都市の高校生にしてはちと洗練し過ぎた格好はやはり映画ならではというべきか。

 

この少女の一人旅がよくある“旅のアバンチュール”に終わればそれでよかったのだが、主人公がドサ回りの旅役者一座の押しかけメンバーになったことから、それまで少女の内面に潜んでいた心理的葛藤が一挙に表面化されてしまうことになった。この映画の第一のターニングポイントである。

 

食べることと寝ることと男女のことしか考えない彼らには放浪に徹した生き方の気高さがある

 

だから少女は、乞食同然に落ちぶれ果てた旅芸人一行と一緒に旅をすることに決めたのだ。

 

座長と男二人に女二人という総勢たった五人のこのミニ一座の座長は自称52歳。少女は背に見事な観音菩薩を背負ったこの座長に恋心ともつかないようなモヤモヤしたものを抱いてしまうのである。おそらくこの年長の男の中に見たことのない父の面影を見たようだ。

しかし、現実はこの座長は飲んだくれ。おひねりをちょろまかして若い座員から踏んだり蹴ったりの制裁を受けた挙句だらしなく泣き出してしまうという体たらく。しかし翌朝にはケロッとして酒のせいで昨夜の事は全く覚えていない、という白々しさ。 

少女には、旅役者はつまらねぇ、ここはあんたのような者のいるとろこじゃねぇ、と親切ごかしのお説教までするのだが、だからといって出て行けとはいわない。むしろ逆なのだ。こんなミニ一座では座員は利用価値が大きいということをちゃんと計算ずみ。

しかしそれを聞かされた少女の天使のようなニコニコ顔が一変して恐ろしい夜叉面に。この少女には座長に受け入れられないことは耐えられないことだった。

 

旅役者の連中は気高いどころか、人間として最低線上に生きているということがこの少女に分かるまでさほど時間はかからなかった。

少女は一座の色男役者からチークダンスの相手を力ずくでさせられた挙句無理やりにキッスされた。それを見たこの役者のいろである女役者に髪の毛をつかまれて引っぱり回されるという仕置き受けた。もちろん悪いのは下心のある男の方なのだがそんな世間の理屈は通用しない。一部始終を目撃していた座長は突然ごろりと背を向け、シカトして雑誌を読み続けるのだ。

 

屈辱と怒りに打ち震えながら仲良くなったもうひとりの女役者を野に探しに出かけたら、こちらは地元の男とアオカンの真っ最中。

 

こんなところに誰がいてやるものか、と少女はこの一座を去る決心をした。

野から帰ってきた女役者に別れを告げているうちに、悲しくなった少女は激しく泣きじゃくってしまう。それを目にした女役者は、あんたが好きやで、と、少女にレズ関係を強いてしまう。この女役者は主人公の少女と同じく元家出少女のなれの果てである。この女にとってはセックスは悲しみを忘れさせる手段であり、それを親切心から少女に手ほどきしたというわけだ。

朱に交われば赤くなる、である。

 

この女のことはこれから日が経つにつれきっと印象を強くしていくように思います。そして真珠のような丸い美しい結晶を私の中に生み出すでしょう、

と少女は母に書き送るのである。