chuka's diary

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虚構の竹島ー5- 日韓基本協定第2条

 

契約は書かれた条項の厳密な意味にそう。署名者が契約内容を単に誤解して署名してしまった場合でも、署名してしまえば契約条項に従う義務を負う。内容を知らないで署名しても同様である。

 

日韓基本協定、1965年、は日本語、韓国語、英語で書かれている。そのうち、英語文が先行する。

 

Article II

It is confirmed that all treaties or agreements concluded between the Empire of Japan and the Empire of Korea on or before August 22,1910, are already null and void.

第二条

1910年8月以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定はもはや無効であることが確認される。

 

英文では、明治政府と大韓帝国との間で1910年8月22日に締結された日韓併合条約及びそれ以前の条約・協定・合意のすべては、すでに解消され無効になっていることに日韓政府は合意、という意味である。

だから、英語文と日本語文との間には意味に違いがある。

Null and void は法律用語。条約・合意そのものの解消と無効を意味している。

  分かりやすい例としてカトリック教の離婚がある。カトリックでは離婚を認めないので、annulment =(結婚)解消が使われている。

また、1945年の敗戦で日本が独立を失った為に、日本が1895年の下関条約で得た台湾、1905年のポーツマス条約で得た北方領土は、 条約がnull and voidにされてしまい、連合国側に取り上げられ、中国、ソ連のそれぞれの国に返還された。だから日本領土は明治維新の時とほぼ同じサイズに委縮してしまった。

 

第2条の交渉過程では、韓国政府は、日韓併合条約及びそれに至る過程に明治政府が強要した日韓合意もすべて 法的無効として解消することを主張。つまり、日韓領土は明治維新時に逆戻り、ということである。その意図は明瞭。日韓併合の過程は韓国にとって、非常に屈辱的で感情的に耐えがたいものであるという、戦後から今日まで引き継がれている国民感情にある。しかし、どうした訳か大多数の日本国民にはそれが理解できない、というのが国際的見解なのである。

 

それに対して日本政府は、1910年の日韓併合条約及び、それ以前の日韓合意は日韓基本協定成立と同時に法的無効とすることを主張。つまり、日韓併合も、それ以前の侵略過程もすべて歴史的事実である、と肯定。その時点で日韓政府は激しく対立したと伝えられている。

その妥協策として韓国側から提案されたのが、この第2条なのである。 日本側の主張した無効日時を入れない、韓国側の「最初から」も入れない、ただ、already=すでに、に置き換えたというわけだ。

 

ところがこの曖昧模糊で意味不明な第2条の説明として、1965年当時の日本政府は、1910年の日韓併合条約及びそれ以前の数々の合意は、韓国側は1948年の独立で、日本側は1951年のサンフランシスコ条約締結及び独立で無効になった、と日本国民にウソをついた。 しかし、条文に無効日時が明記されていない為に、英文の意味は、韓国側の主張とほぼ同一と見なされているのだ。

多くの日韓外交研究者は、この第2条を、法的解釈を避け、日韓のスタンスの違いを示すシンボリックなものと見なしている。

 

しかし、法的にどのような実効性があるのだろうか?

たとえば、1905年2月の竹島先占の法的正当性への影響だ。

それに先立つ1904年8月の第一次日韓協約で明治政府は大韓帝国の外交権を取り上げた。外交権は、明治政府の指名した外国人顧問の手に渡った為、間接的であれ、明治政府に握られたことになった。

しかし、翌年の1905年11月、第二次日韓協約により、明治政府の手に外交権が移ったのである。

大韓帝国に竹島先占の通告を正式に行ったのは、翌1906年であるから、その時点では竹島領有の唯一の関係国である大韓帝国には外国である日本に対して異議を申し立てる法的基盤がなかった。

しかし1965年の日韓基本協定第2条で、1948年に独立した韓国は、明治政府の竹島先占に対する異議を出す法的権利を初めて得たことになる。