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chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

巨泉さんはいい死に方をした

 
 
最初に大橋巨泉氏が亡くなった、というニュースを知った時、私の正直な感想は、「え?この人まだ生きてたの!」。
実は巨泉さんのことは、『11PM』で司会してた、恰幅がよくてえらく調子のいいおじさんとしか覚えていない。あの時の彼の新妻が元祖アイドルの浅野順子ちゃん。当時も二人はラブラブで、いったい順子ちゃん(現寿々子夫人)はこの年上おジンのどこにひかれて?というのがやっかみ混じりの『11PM』のファンからの声でした。
ところで上のフォトを見て、二人(永六輔さんと)の変貌には驚いた。(自分のことは棚にあげて、の話)。
 
巨泉さんの最後は、愛する家族にみとられながら、眠るように亡くなったそうだ。彼は大変いい死に方をした。誤解しないで欲しいのは、いい死に方というのは、家族に囲まれて死ぬことができたから、ということではないのです。ホスピスケアでは、死にゆく人を一人にしない、というのが原則ですが、世の中には、一人で死にたい、と望む人も結構多い。その理由の一つに、家族に悲しい思いをさせたくない、というのがある。今回の、「あの医者、あの薬に殺された」という巨泉さん御家族の怒りの告発を読めば、後者の方々の、一人で死にたい、という気持ちも一理あるように思えるのだが。
 
 〈先生からは「死因は〝急性呼吸不全〟ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許し頂ければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです〉

 これは7月12日に亡くなった大橋巨泉さん(享年82)の妻・寿々子さんが、その心情を綴った文章の一節である。
 
巨泉さんの最初の胃がん摘出は11年前。その時彼はすでに70才だから手術からの回復はかなりきついはず。だが、彼はそういった困難を見事に克服。しかしつい数年前になって怖れていた癌が再発、放射線、および抗がん剤の治療を受けたのだが、体内でがん細胞は転移・再発を繰り返したようだ。再発以来彼の壮絶なる死闘が始まった。その時彼は75才を過ぎていたのだ、まず巨泉さんの並外れた闘魂に心からの畏敬の意を表したい。
 おそらく3度にわたるがん切除手術と4回の放射線治療に加え、昨年の11月に発症した腸閉塞の手術は身体に大きなダメージを与えただろう。上の痩せて弱々しい彼の姿が何よりもバトルの凄絶さを物語っている。

 もしあの時、モルヒネを大量に投与されていなければ、もっと生きられたのではないか―。
 冒頭の寿々子さんの言葉からは、そう悔やむ気持ちがひしひしと伝わってくる。

 事の経緯を振り返る。巨泉さんが20年にわたり続けてきた、週刊現代コラム『今週の遺言』(6月27日掲載)の最終回にはこう書かれている。

 〈3月27日に国立がん研究センター中央病院に緊急入院して検査をしたが、幸いがんは見つからなかった。(中略)CVポート(胸に埋め込む点滴補助器具)をすれば自宅での在宅介護で問題ないと言われ、がんセンターを4月5日に退院したのである。しかしこの在宅介護が大ピンチの始まりになろうとは神のみぞ知るであった。

 退院した5日の午後、我が家を訪ねてきた在宅介護の院長は、いきなりボクに「大橋さん。どこで死にたいですか?」と訊いてきた。以前にも書いたようにボクは既に死ぬ覚悟はできていたのだが、「エッ?俺もう死ぬの?」と呆然とした。

 次に「痛い所はありますか?」と訊くから「背中が痛い」と答えたら、直ぐにモルヒネ系の鎮痛剤のオプソやMSコンチンが薬局から大量に届いた。院長は毎日来るのだが特に何もしない。この頃からボクの記憶は曖昧になる〉
がんセンターの先生からは『今のところがんはないので、まずは体力を回復させましょう』と言われていたのですが、この在宅介護の医者は『どこで死にたいですか?どうやって死にたいですか?』とばかり聞いてきました。がんセンターから兄のカルテが届いているはずなのに、読んでなかったのでしょうか……。

 そして、『とにかく背中の痛みを抑えるために、薬を飲みましょう』とモルヒネ系の薬をどんどん送ってきたのです。その中には貼り薬もありました。
 
この箇所を読むと、ご一家の前に何だかとんでもない医者が現れたようである。
その前に、まず癌センターでは癌が見つからなかったということについて。ここで読者は、なんだ、巨泉さん、癌でなくなったんじゃないんじゃない、と思うかも知れない。しかし、彼のように悪性癌がリンパに転移した人は、検査で癌が見つからなかったというだけで、もう癌じゃない、と思い込むのはちと早すぎる。癌が今回の検査で見つからなかった可能性、を考慮する必要があるからだ。だから、癌センターから緩和ケアの専門医が紹介されたようだ。問題は、この緩和ケアの医者は、巨泉さんをホスピス患者と勘違いしたことにあるようだ。
当人の巨泉さんは非常にポジティブで楽天的、その後の行動が示すようにホスピスケアにはむしろ反対にもかかわらず。
 
ホスピスケアに適用される患者は、医者により、6か月以内に自然死すると医師に判断された人である。自然死というのは、癌患者の場合は、病気完治の為に必要な手術とか抗がん剤投薬を行わない、栄養補給の為のPEGチューブを胃または小腸に挿入しない、等々のアグレッシブな治療を行なわないということが前提となっている。理由は前述した治療を施しても、回復の見込みはなく、患者は肉体的及び精神的苦痛にさいなまれながら治療途上で亡くなってしまうケースが多いからだ。当然死直前の最後のレスキューである、心肺蘇生という救命措置についても、これは「コードブルー」として日本でもおなじみだが、ホスピス患者にはこれを行わない。以上のような患者サイドと医師サイドの法的合意がホスピスケアの前提となっている。
ホスピス患者の望みは痛みのない死であるから、効果的な鎮痛剤の処方が重視される。モルヒネ系の鎮痛剤は、癌による痛みに効き目があるとされ、ホスピスケアの癌患者のトップチョイスとなっている。
 
そんなによくきくなら、どんどん使えばいいじゃないか、ということになるが、モルヒネ系の鎮痛剤には痛み止めの他に深刻は逆効果がある。巨泉さんのご家族が怒っている通りなのである、それは呼吸機能を弱めるということだ。
普段、私達の一分間の呼吸回数は16から20回なのであるが、それが15回以下になると、アタマの酸素不足で、あらこの人、ちょっとボケてるんじゃない、というような症状が現れるのだ。10回近くでは、ひどい眠気におそわれ、眼を明けていることが難しい、10回以下だと、外から見ると意識不明、といったぐあいだ。
あのプリンスの死因は、このモルヒネ系鎮痛剤の過剰摂取によるもの、と死後解剖で判断されたが、彼は生前に機内で意識不明となり、ナルカンというモルヒネ系鎮痛剤の効果を消す薬の静脈注射で意識回復、という事件を起こしている。
というように、苦痛を感じないで死ぬということには、モルヒネ系及び多の精神安定剤(=催眠剤)などの併用の影響で痛みを感じる意識そのものが薄れてくるということも含まれているのが現実だろう。
話がそれてしまったが、つまり、ここの緩和ケアのお医者さんは、苦しんでいる巨泉さんを早く楽にしてあげたい、と思ったようだ。
在宅ホスピスを選ぶ理由は、日常生活の延長として静かに死んでいきたい、ということだそうだから、どこで死にたい、と尋ねたこのお医者さんはかなり勉強不足に見える。
大病でベッドで長い間寝転がっていると、背中ぐらいは痛くなるのは当たり前。体を回転させたり、ベッドの中で運動したりする方法もあるし、なぜ、こんなに強力な痛み止めがいるのだろうか、と思ってしまう。

 さらにこの医者は、『まあ、もって2~3ヵ月でしょう。私は専門医だから分かるんです』と言う。兄も私たち家族も、相当なショックを受けたのは言うまでもありません」

 次の日から、巨泉さんはこの医者に言われた通りに処方されたモルヒネ薬を飲み始めた。するとこんな症状が出始めたという。

 「薬を飲むまでは普通に歩いていたし、トイレも自分で行けていたのですが、飲み始めて2日目になると、フラフラして一人で歩けなくなりました。寿々子さんから電話がかかって来て、一人では抱えられないと言うから、飛んで行ったんです。

 3日目になると二人がかりじゃないと支えられないほどになり、兄も『なんか変なんだよ。空を飛んでいるみたいだ』と訴えていました」(哲也さん)

 終末医療に詳しい、帯津三敬病院の帯津良一名誉院長が解説する。

 「医療麻薬として知られるモルヒネ系薬は、痛みをとる代わりに、副作用として意識障害や、呼吸抑制により心臓に負担がかかることがある。特に高齢者で体力が衰えている方は慎重に使う必要があります。服用量を間違えると死期を早めてしまう危険性もある」

 寿々子さんと哲也さんは、がんセンターで「今のところがんの転移はない」と言われていたのに、モルヒネを投与されてから、日に日に弱っていく巨泉さんを見て不安を募らせていた。

 見かねた寿々子さんと哲也さんはがんセンターの片井均医師と、長年にわたり巨泉さんを診てきた若山芳彦医師に連絡。二人の先生は異口同音に「痛み止め(モルヒネ)の使用法に問題がありそうだ」と、再入院をすすめた。

 だがこの在宅医は、「薬を中止しよう」とは言わなかったという。
 
鎮痛剤は、原則として必要に応じて、ということなのであるが、モルヒネ系鎮痛剤ではそれが非常に難しくなるケースが多い。特に依存性は無視できない。
その上、去年、重症の腸閉塞で手術、という病歴を考慮するなら、モルヒネ系の鎮痛剤の量は、巨泉さんがホスピス患者でなければ、慎重にするべきに思えます。モルヒネ系鎮痛剤は、腸の蠕動運動をブロックすることでもよく知られているからだ。私が感じたのは、問題はこのお医者さんと癌センターとのコミュニケーションにあるようだということです。そこは、寿々子未亡人の指摘通りです。
 
 「毎日自宅には来るのですが何もしない。こんなにフラフラになって意識が混濁しているので、普通の医者なら『おかしい』と思うはずなのですが……。付き添いの看護師が脈を測ったりはしていましたが、この医師が問診することは、ほとんどありませんでした。それでいて『早いなあ、(寿命が)1~2週間になっちゃったかなあ』と言うのです」(哲也さん)

 不信感を募らせた哲也さんが、知人に調べてもらったところ、この医者は元々「皮膚科の専門医」だったことが判明したという。それが現在は緩和ケアの病院で院長を務めていたのである。

 この時点で寿々子さんと哲也さんは、「この在宅医に診てもらうのをやめよう ところが薬を服用してから5日目、在宅医から「今日がヤマです」と突然告げられた。

 「最初は2~3ヵ月と言っていたのに、急に『今日が危ない』ですからね。翌日、別の病院に入院することを伝えても『そうですか』としか言わない。

 もしあのまま薬を使い続けていたら、間違いなく死んでいたと思います。

 処方する前から量がおかしいとは思わなかったか?素人では分かりませんよ。自宅には使わなかった30日分以上の薬が残っています」


 巨泉さんのコラムの最終回には、こう記されている。

 〈翌11日の朝、若山先生が同乗してくれた弟の車で家を出たのだが、突然ボクの意識は飛んだ。そのとき若山先生が的確な指示を出してくれて、途中の病院に緊急入院の形で担ぎ込まれたという。たった5日間で意識も薄れ、歩行もままならぬ体になったのだから恐ろしい事だ。

 モルヒネ系の痛み止めの薬は体内に蓄積される事で知られるが、がんセンターではボクの体力に合わせて使っていたようだ。普通の病院なら、がんセンターからの資料を読めば理解できた筈なのだが、何故だか大量に渡されたのである。何しろ九死に一生を得たのだが、82歳の老人には大打撃であった。結局、緊急入院になったために、ノーチョイスで救命処置を受ける事になってしまったのである〉

 結局巨泉さんは、集中治療室を出ることなく、息を引き取った。コラムの最終回が掲載された直後、この在宅ケアの医師から寿々子さんと哲也さんに連絡があったという。

 「医者からは『申し訳なかった。てっきり(巨泉さんは)緩和ケアをするものだと勘違いしていた』と電話があった。

 兄と私たち家族が望んでいたのは、最後に好きなことをして逝くことでした。でも結果として、兄は、最期においしい物を食べることも、ワインを飲むことも、ゴルフをすることも何も叶わなくなってしまった。まさか寝たきりになってしまうとは想像もしていませんでした」(哲也さん)

 巨泉さんはかつて最初の胃がんを患った時に「がんを治すのは医者ではなく、自分自身の力です」と語っていた。

 その言葉通り、4度のがんを乗り越えてきた。だが、結局最後はベッドに寝たきりのまま、亡くなってしまった。

 本来なら「さようなら、逝ってくるよ」と軽口を言って旅立つはずだった。あのモルヒネの誤投与さえなければ……。巨泉さんと残された家族の無念はあまりに大きい。

 「週刊現代」2016年8月6日号より

 
私が巨泉さんは、いいい死に方をした、と書いた理由は、自分が望んだように、ポジティブな生き方を最後まで貫けた、ということである。病気治療のプロセスでは予想外の問題がおこることもある。このモルヒネ系鎮痛剤の過剰投与もその一つだろうが、普通なら、モルヒネ系鎮痛剤の効果は、大体4時間から6時間だから、おかしいと思ったら飲むのを止め、貼り薬ははがしてしまえばいいのだが、巨泉さんのように高齢で、体力の弱っている方には、呼吸困難の他に予想外の逆効果が出てきたのかも知れない。また彼が運ばれたICUの感染率の高さはよく知られてことでもあり、ICUでの感染が原因の肺炎で亡くなる人も多い。数々の障壁と困難に最後まで闘った人、というのが巨泉さんついての私の印象である
ところで、巨泉さんのような癌の再発と死というような場合に直面したら、私達のチョイスは?という問題をこのご家族の怒りの告発記事は私達に考えさせませんか?うがった見方をさせてもらえば、医者として、最後まで手術や抗ガン剤の投薬をおこなってみたい、というスタンスの方も多いのです。
 
私の友人は、巨泉さんとは正反対に、ホスピスケアを選んで亡くなりました。彼もいい死に方をしています。