chuka's diary

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慰安婦=公娼=性奴隷 : 牛馬解き放ち令

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以前は、政府の関与はなかった、というのが慰安婦否定派の大きな理由だったのですが、あの安倍内閣の日韓慰安婦合意(2015)で安倍政権があっさり日本政府の関与を認めてしまい、安倍に裏切られたネトウヨは一時沈黙を余儀なくされたのです。
 
最近、その代わりとして、慰安婦は性奴隷ではない、というのが出てきました。根拠は売春婦として金を貰って商売していたから、というもの。安倍政権もちゃっかり鞍を乗り換えて、韓国政府代表が、慰安婦は性奴隷、と口に出す度に、抗議をくりしているわけです。しかし、慰安婦=性奴隷、は歴史的事実であり、日本人に対する悪口ではないのだが、なぜそれか理解できないのでしょうか?
 
この、慰安婦は性奴隷、の言い出しっぺは、実は、国連人権調査員だったクマラスワミ弁護士でもマクデューガル弁護士でもない、実は日本人なのです、しかも明治政府の初代司法卿であった江藤新平です。
 
幕末の志士から身を起こし最後は梟首刑に処せられた江藤新平の悲劇的生涯については是非ご自分でお調べ下さい。
 
明治政府というのは必要なものは何もかも欧米列強がらコピーし、彼らに追いついて彼らの様に植民地を領有し国を豊にすることにゴール・セットした政権でした。だから無数の外国人教師を破格の給料で招聘、日本から留学生を続々欧米に送ったのですが、その費用も開国したばかりの貧乏国としては非常に高くついたのです。しかし、それは見事に成功しました。
戦後に雨後の竹の子のごとく現れたのアジア・アフリカ新興国が米ソの経済援助競争に関わらず見事に失敗したのを覚えていますか?そう考えると、明治の日本人の優秀さにはただただアタマを下げるのみです。
 
慰安婦は公娼あるいは占領地での公娼もどきです。もどきというのは、軍隊付属の売春婦を正当化する目的で内地の公娼制度を適当に当てはめた苦肉の策ということです。
公娼とは明治33年(1900年)の娼妓取締規則で明治5年(1972)の江藤新平の芸妓娼妓解放令以来、国法によって合法化された売春婦をさします。
 
ネトウヨは慰安婦は公娼で合法、だから性奴隷ではない、と奇妙な主張をしているが、日本の公娼制度は単なる売春ではなく人身売買の性奴隷制度でした。
 
人身売買とはあらかじめ業者がブローカーを通して前借金を渡し、その前借金を遊郭に住み込んで年季奉公や自分の取り分から返すという契約を結んだため、当事者の売春婦は年季明けか借金が払えないうちは遊郭に監禁され、客とのセックスを強要されたわけです。 強要セックスの中には、生理日、感染症、感染症の客、一時間割り当てのミュルティプル・セックス、等も含まれています。
 
もちろん明治政府がモデルとして仰ぎ見る欧米列強国は、日本のこの人身売買(=human trafficking)を土台とする売春制度を事実上の奴隷制度とみなしていました。
明治5年(1972)に起きたマリアルス号事件で、欧米から日本の性奴隷制を名指しで嘲笑された時の明治政府は、江藤新平の陣頭指揮下、即、芸娼妓解放令を出し、人身売買は人倫に叛く道、とし、それまでの前借金契約を無効にしてしまったのです。
 
その直後に出された司法省通達22号では、
 
娼妓芸妓は人身の権利を失ったもので牛馬と異ならず
人より牛馬に物の返済を求める道理なし
 
と書かれていましたから、日本人も人身売買は奴隷制と見なしていた事がわかります。
それ以後も日本政府のこの見解は決して変わっていないのです。
明治33年の公娼法とは、人身売買に歯止めをかけるのが目的の一つだったのですが、ネトウヨの歪曲された理解力でも明らかなように、なぜか全く逆の解釈がまかり通っているのです。
なぜでしょうか?
 
 
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