chuka's diary

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竹の森遠く


竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記

舞台は終戦直前の満露国境近い北朝鮮。11歳の日本人少女と母、姉の家族3人の本土への引き揚げの旅が始まろうとしていた。といっても、この少女は日本を知らない異国育ち。だから彼女にとっては未知への旅立ちでもあったのだ。

 

この少女の辛酸なめ子さんとしての体験が自伝的小説と銘打って1986年に米国で出版された。

 

題名は“So Far from Bamboo Grove”。

 

日本語訳はいまだに出版されていない(この記事を書いた時には)。しかし、日本では『竹の森遠く』というのが題名としてすでに定着してしまっている。著者自身による訳は『はるかかなたの竹林に想う』であるらしい。彼女自身の自筆の写真をネットで見た。

現在マサチューセッツ州在住の著者は、78歳を超える高齢をものともせず、毎年近隣の中学校を訪れ自らの体験した戦争の害について語り続けている。

 

この本はわずか180ページの中学生向けの本である。だから2時間余りで読める。しかしこの薄っぺらな子供向けの本が米国内で一大政治的問題となったのだ。それは26年後の今日に至るまで続いている。

 

出版された当初からこの本は非常に高い評価を受け、全米の中学校の英語の副読本として指定された。つまりこの本は過去25年以上に渡り授業の教材に指定され全米の中学生に読まれてきたわけだ。

作者のヨーコ・カワシマ・ワトキンスの意図はただひとつ。自己の経験を通して飽食満ち足りた米国の中学生達に戦争の悲惨さを知り満ち足りた現実を見直して欲しいということだそうだ。

 

だが、韓国系からこの本を中学校で強制的に読まされることに精神的苦痛を訴える生徒や、この本の内容から人種差別を受けるのではないかいう不安を訴える生徒達が出てきたのだ。米国での慰安婦問題への関心の高まりに同調するかのように、父兄達が自分達の学校区に対してこの本を副読本のリストから外すよう要求するようになったのである。

この本に強く反対する韓国系住民の父兄達は、日本は戦争の加害者であり、かっての日帝に植民地化された朝鮮人は被害者。それがこの本の中では、全く逆になっている。これは史実に反している、と主張する。

 

この本の作者は、ヨーコ・カワシマ・ワトキンス、78歳。戦後、”戦争花嫁”としてアメリカに渡った日本女性である。しかし彼女は日本生まれの日本育ちではない。彼女は戦前の北朝鮮に生まれ、戦後日本に引き揚げるまでは日本の土を一度も踏んだことのない日本人だった。

 

ヨーコの家族は南満鉄勤務の父、母、兄、姉の五人家族だった。末っ子の彼女は皆から“ちびちゃん”と呼ばれてかなり甘やかされて育てられたようだ。

終戦まで一家は満州国境近くの羅南(ナナム)で暮らしていた。戦時中だからあまり贅沢はできなかったようだが、それでも大学出の満鉄官吏に相応する暮らし振りだったようだ。まあ、今日で言えば大手会社の海外駐在員の暮らしぶりを想像すればよいのではないかと思う。

 

この一家の父は不在がちである。満州勤務の父は勤務の合間に家族の所に帰っていたのだが、戦争末期になるといっそう不在が増した。

久しぶりに帰ってきた時は兄と一緒に防空壕を掘り空襲避難の準備に追われた。もしもの時の為に冬のコートを忘れないようにということが最後の手紙で指示されたのだが、北朝鮮に残された一家はむしろ大袈裟なことと思っていたようだ。

 

敗戦時の引揚げ体験をテーマとする本やドラマは決して珍しくはない。日本人に限らなくても、旧植民地に対する限りない追想を素材にした物語も多い。

 

だが、彼女のストーリーは従来の引き揚げ者のものとどこか一味違うのである。

 

まず、冒頭に出てくるのは、父いない留守宅に突如現れた日本の憲兵達である。彼らは金持ちの家族から金銀、宝石類を強制没収しにきた。母の金縁のめがねを容赦なく取り上げた憲兵の手にヨーコは噛み付いた。おかげで彼女は軍靴で胸を蹴っ飛ばされ、意識を失ってしまったのであった。

 

さらに予科練事件というのある。

 

ヨーコの兄は家族に黙って予科練を志願した。それに対して母は大反対。ついに二人は口を聞かなくなった。当時は予科練のイケメンぶりが軍歌となり大ヒット、当然若者の間であこがれの的になっていた。しかし、現実には、彼らは人間魚雷などのカミカゼ攻撃に使われたので彼らの死亡率は異様に高かったのだ。

まず姉が、兄は予科練に入るべきではない、兄がいなければ誰が母と私達を守るのだ、父が亡くなれば誰が家の名を継ぐのだ?と直談判した。

 

「予科練に入って死ねば、国は栄光なることだといってお兄さまを英雄と奉り立て、お母さまには勲章を下賜するでしょうが、お母さまは本当にそれがおのぞみだと想うの?・・・・今日、私はまた学校で防空訓練をした。その時一緒に、陸軍病院の傷病兵も訓練を受けていた。全員、顔色も悪くまだ満足に回復もしていないのに。その中にはあのマツムラ伍長がいたわ。そういう人達を戦場に送り返さなければならないくらいだから、この戦争は負けよ。お兄さまは自分の命を捨てに行くだけよ。もしそれでも行くというのなら、私、お兄さまとは縁切りよ、もう死ぬまで絶対口きかないから!」

「私もよ、」と私(ヨーコ)、「絶対!」

「女共に指図は受けない!出て行け!」と兄は怒鳴った。・・「いいか、俺がちゃんとかたをつける。」

 

しばらくして、陸軍司令部からの父宛の通達が届いた。父と兄がいなかった為に、母が封を開いた。兄は筆記試験で見事に不合格となったのだ。通告によると、兄はとても愚直だから軍では使い物にならない、かわりに20マイル離れた弾薬工場で週六日働けというのだ。ごていねいに間違いだらけのテストも一緒に返送されてきた。

兄が筆記試験で故意に間違った答えを選んだのは明らかだった。

たちまち、母娘達3人大笑いとなった。

 

ところが、兄が泊りがけで弾薬工場に出発したその日の夜遅く、マツムラ伍長が突然やって来た。明日の早朝4時に陸軍病院全体がソウルに避難するので、彼らと一緒にソウルに行くように、すでに話はつけた、というのだ。寝耳に水の家族は最初は驚き困惑。しかし考え直して言われた通りに母娘3人で出発することに決めた。兄にはソウル駅で再会しようという置手紙を残した。時は7月29日、敗戦の半月前だった。

 

暗闇の中を重いリュックを背負い夏なのに冬のコートを着込み、紐で手首を結び合って母娘3人は長年住みなれた家を出た。徒歩で河にそってナナム駅に向かった。その途中、三人は共産ゲリラ兵士の一隊に遭遇、すばやく草叢に身を隠した。彼らは朝鮮語でいかにして敵を殺し、死体を河に投げ込むかを話していた。

駅にたどり着いた母娘3人を待っていたのは、ユダヤ人が詰め込まれて収容所に運ばれたあの列車と決してひけをとらないしろものだった。

 

彼女たちは、女専用の貨車に載せられた。ぎゅうぎゅう詰めの上、トイレは隅に置かれた二つの桶だった。尿用と便用である。ソウルまでは2日3晩の旅であるが、緊急だから誰も水や食料を用意している様子はなかった。ヨーコ達は自分たちの持ってきた水筒の水を隣人と分け合い、ひそかに母が前もって用意しておいた非常用の干し魚の切れ端を噛んで飢えをしのいだ。

 

夜になって、汽車は長いトンネルに入った。貨車にはドアがなかった。たちまち、車内に黒煙が吹き込んだ。それを吸い込んだヨーコは呼吸困難の為に失神してしまった。看護婦に頬をひっぱたかれて意識を回復、しかし、他の人達はそうラッキーではなかったのだ。隣にいた赤ん坊が死んでしまい、母親は大声で泣き叫んだ。

 

衛生兵は手に持っていたリストから名前を線で消し、こちらで後始末するから死んだ赤ちゃんをよこすように告げた。主人公は、いったいどうやってこの小さな死んだばかりの赤ちゃんを後始末するのか、とても不思議に思った。

母親はそれに抵抗しやってきた夫にしがみついて、この衛生兵が私の赤ん坊を殺した、この男が私の赤ん坊を投げ捨てようとしている、と叫んだのだ。

 

衛生兵は力ずくで赤ん坊を母親の手から奪い取り、何と貨車のオープニングからひょいと投げ捨てたのだ。若い母親はよろよろと立ち上がり、赤ん坊の後を追い、貨車から身を投げた。たちまち恐ろしい断末魔の叫びが聞こえた。

 

投げ捨てられたのは、赤ん坊だけではない、死者は皆こうして貨車から投げ捨てられた。おかげで車内には少し余裕ができた。

ヨーコは、何も見ない、聞かないようにという母の命に従ってひたすら両目を閉じていた、が、肩になにか冷たいものを感じて、起き上がろうとしたが、母に止められた。隣に寝ていた妊娠していた女の人が破瓜して羊水が流れ出たのであった。

 

こうして生まれた赤ちゃんに使う水もないので、何と赤ちゃんはあの桶にたまった尿で血まみれの体を洗われた。

 

汽車が停車した。衛生兵が看護婦に、朝鮮共産軍がこちら来るぞと忠告した。

看護婦があの尿桶から胎盤を取り出して、寝ている姉のお腹の上に置いた。看護婦は姉に大きなシーツをかぶせると、動いてはいけない、と命じた。

・    ・・・看護婦と衛生兵は気が狂ったようなことをした。先ほどのお産で血に染まった私のシャツで母と姉の顔をふいた。彼らの命令で私はその血でよごれたシャツをまた着て横になった。・・・・

朝鮮共産軍の制服姿の二人が現れた。まずい日本語で、

「我々は健康な日本人乗客を探している。中年の女と二人の少女、19歳の少年だ。ナナムから乗り込んできた。カワシマという名だ。」

衛生兵は、そんな女性はここにはいない、ここにいるのは皆病人の女子供だ、と答えた。

 

兵士が銃の先で私の背中をついた。看護婦は、「この子の背中にはひどい傷があるのです。」

姉のところでは、兵士がシーツの下をのぞいた。「この女は赤ちゃんがうまれるのか?」

「もう生まれそうです」と看護婦が言った。兵士は母を見て、この年寄りのどこが悪いのかと尋ねた。

「この人は天然痘だ、近寄らない方がよろしいかと。」

すると慌てた兵士達は急いで貨車から飛び降りた。

 

今日では天然痘ウィルスは絶滅され病気もなくなってしまっているが、当時 高い致死率で非常の恐れられたのがこの感染病だ。運よく回復すれば、傷痕として醜いアバタが顔に残ることでよく知られている。