chuka's diary

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もう一人の❝アンネ・フランク❞

 

Two Rings: A Story of Love and War (English Edition)

Two Rings: A Story of Love and War (English Edition)

 

 

『アンネ・フランクの日記』は疑いもなく世界中で一番読まれたホロコーストの本だ。ところで、アンネとほぼ同年代で多感な少女時代をゲットー、アウシュビッツで過ごし、米軍の到着を目前にした最後の死の行進から開放された時には19歳になっていた少女がいた。彼女の名はミリー。

 

『シンドラーのリスト』1993年という名画を覚えていないか?

ナチ党員だったドイツ系チェコ人のシンドラーが戦争で一儲けをしようとナチ占領下ポーランドで元ユダヤ人所有の工場を払い下げて貰らった。しかしこの男は工場経営はまったくの素人。そこでゲットーから奴隷労働に徴集したユダヤ人の頭と力を借りて軍需品を作り大儲けをした。だが、ナチの介入に抵抗し最後は彼の工場のユダヤ人1200人あまりの命を莫大な金を払ってナチから買い取って救ったというストーリーだ。

 

ミリーはこういった軍需工場に15歳から奴隷労働をさせられた。ただし、ナチの監督下での工場だったので、そこは日々の恐怖と過酷な労働と飢えの世界であった。

 

今日のミリーは80歳を越え、NYのユダヤ人コミュニティーに生きる富裕な未亡人である。彼女の息子の家で開かれる定例の安息日ポットラック(持ち寄り)ディナーに来ていた大学の英語教授がミリーの息子に頼まれたのだ、ぜひ彼女のストーリーを本にしてくれないか、と。

それまでこの女性教授はミリーがホロコーストの生存者であることを知らなかったそうだ。控えめな未亡人と思っていた。まあ、やって見てもいいんじゃないか、と一応引き受けることにしたのだが、このミリーと付き合っているうちに彼女のストーリーにすっかりはまってしまった。

 

一年以上もかかってやっと原稿ができたそうだ。何しろ戦争が終わって65年。ミリーは当時の事を驚くほどよく記憶していたが、どうしても記憶がないという事柄も出てきた。

それから、言語の壁もある。ミリーは英語はうまい。だがどうも聞いていると、やはり母国語だったイディッシュと呼ばれるドイツ語をもとにしたユダヤ方言の言い回しが頻繁に出てくる。そこで、聞き手の英語教授はミリーに原稿を読んで聞かせて必ずその時の思いを英語で確認したそうだ。

その成果がミリー・ウェバー、イブ・ケラー共著の “Two Rings : a story of love and war” 2012  (二つのリング:愛と戦争の物語)である。

 

結果として従来のホロコースト・ストーリーとはかなり違ったものになってしまった、というのが拙者の印象だ。

 

ミリーはポーランド中心部のラドム市で生まれ育ったユダヤ人。当時ラドム市の人口のおよそ3分の1にあたる約30万人がユダヤ人だった。しかしミリーの父は長い間パリにいた。一家の生活を支えていたのは手広く仕立て屋を営んでいた母だった。兄が一人に、祖父母をはじめ、叔父叔母やいとこ達のいわゆる典型的なユダヤ人大家族に囲まれて育った。

 

1939年にドイツ軍がラドムを占領、多くのユダヤ人が逮捕され姿を消していった。1941年にはゲットーに市のユダヤ人住民が強制移住させられた。それに従わないものは殺された。ゲットーから許可なくさまよい出たユダヤ人も皆殺された。

 

“ Arbeit macht frei” =『働けば自由になる』、というドイツ語のスローガンがアウシュビッツをはじめいくつかの強制収容所の門に掲げられていたのは写真でもお馴染みだ。拙者が読んだある日本語の本では、これは全くのジョークだった、と書かれていたが、その本の著者は間違っていた。これはマジだった。但し『働けなければ殺すぞ』というのが正確だ。

給料など一切出ない奴隷労働の先を見つけなければ殺される、というわけで、当時15歳になったばかりのミリーはナチの工場で働くはめとなった。苦労したせいで見た目がふけ過ぎてナチにに拒否された母と一緒にゲットーに残るといって泣きじゃくった。しかし、ドイツ軍に殺されるぞ、と叔父にゲットーから追い出され、兵器部品工場で毎日12時間働かされた。6時間と6時間の間に休息が15分間だけ。トイレはこの休息中の済ませなければならない。仕事中に席を離れると殺されるからだ。男性は尿意を抑えるためにチンXXを紐で縛ることが出来たが女性はじっと我慢あるのみだ。

 

注:真似してあれを縛ることは絶対しないように。腎臓・膀胱・尿道機能に異常をきたす恐れがある。縛られた先の部分が壊死すれば切断することになりかねない。

 

兵器工場では二回、仕事の前に、コーヒーらしき茶色の飲み物と黒パンのスライス、仕事の終わりには水のように薄いスープが与えられた。それは後で知ったのだが馬のスープだった。浮いている肉のかけらももちろん馬肉だ。ところでミリーはどうしてもこのスープが飲めなかった。コーシャでなかったので飲むと神の怒りを受けて死ぬと信じていたからだ。逆に、飲まないと死ぬと皆からせかされてやっと目を閉じて飲みこんだが、死ななかったのですっかり驚いた。その上、信じられないくらいおいしかったとのこと。

 

奴隷労働にありついたミリーの父、叔父と叔母は殺されずにすんだが、ゲットーに残っていたミリーの兄は以前街路掃除に狩り出された際にドイツ軍のトラックにひかれて以来びっことなってしまったのだが、方輪者としてその場で射殺、奴隷労働に不向きだとされた母や祖父母、幼い従兄弟たちは皆強制収容所送りになり、そこで殺された。

おそらくこのまま鉄鋼部品に穴をあける仕事を一日12時間もしていたら、ミリーも長くは持たなかったはずだ、しかし思いがけなく天使がミリーに微笑んだ。

 

イブ・ケリーがミリーのストーリーを聞き始めて数ヶ月経った頃、ミリーは彼女を自分のベッドルームに連れて行き、大切にしまっていた二つのリングと節目のついた古い白黒写真を見せた。若いカップルが頬を寄せ合って写っていた。ミリーと彼女の最初の夫、ヘニークだった。

 

ミリーは生まれて初めて恋に落ちた。16歳だった。ヘニークはユダヤ人の工場警察官であった。

このユダヤ人警察官こそジョークである。彼らはドイツ人の手下となって少しばかりの特権、たとえば皆が雑魚寝する宿舎のかわりに個室にベッド、と引き換えに同胞ユダヤ人を監視する。余計な食べ物を隠し持っている者を見つけて密告だ。だが最後はドイツ人に殺されてしまう運命にあった。

 

ヘニークはミリーを工場からキッチンへ移動させた。ここでの彼女の仕事はジャガイモの皮向きになった。しかしこっそり薄く削ぎ切りしたポテトをストーブにはりつけ、すばやく口に放り込むということも出来たのだ。これが生きるが死ぬかの運命の分かれ目になるのだ。

ところでヘニークの妹夫婦はアルゼンチン国籍だった。アルゼンチンにいるドイツ人と交換されるということになってヘニークはミリーを連れてポーランドから脱出しようとした。その為に二人は秘密裏にミリーの叔父によってユダヤ教の結婚式をあげた。

ミリー16歳、ヘニークは28歳だった。しかし公式にすることは不可能だったので二人はゲットーでの結婚式の後その足で工場の宿舎に戻り、ドイツ軍を恐れて一緒に暮らすことはできなかった。しかし、ミリーは幸せだった。最愛の母が連れ去られた後、ヘニークだけが彼女にとって輝く希望の星だった。

しかし、ヘニークの妹夫妻をはじめ、アルゼンチンに移住希望のヘニークの親戚はある日全員が集合させられ、その場で、ドイツ兵に射殺された。ミリーの叔母が目撃者だった。ヘニークとミリーは工場に住んでいたので処刑を免れた。

たとえドイツの奴隷であってもミリーにとって人生でもっとも幸せな日々だったそうだが、それもある日突然終わりを告げた。

 

ミリー達が強制労働させられた工場には高炉があった。そこで働くユダヤ人は高温と灰燼に肺を侵されながらもっと過酷な労働をしいられていた。この高炉はミラーというナチSSの監督下にあった。実はこの男はユダヤ人の少女達を強姦していた。その被害者達の一人はミリーの友人であった。この少女はミラーに呼び出され、すっ裸にされた。それから椅子に腰掛けさせられて、囚人を殴るゴム製のバトンを口の中に突っ込まれ、喉を手で捕まれて窒息しそうになった時、ミラーは少女の足を広げさせ強姦した。もちろん少女は処女であった。ミラーは明らかに性的変態癖のある男である。

 

だがこういうことは密かに知れ渡ってしまうのが普通だ。だが、ミラーを恐れて皆は口をつぐむ。しかし、ただ一人これを公に告発した男が出た、それもミラーの上部のSSにである。男はノレンバスキー。ゲットーのユダヤ人警察官だが、同じ学校に通ったというヘニークの友人であった。告発の理由は『人種の恥』である。優性民族であるドイツ人が劣性のユダヤ人とセックスすることは人種の純血に反する行為と見なされていた。

ノレンバスキーは正しい事をした報償としてゲットーから彼の同僚12人の警察官と彼らの家族共々、ヘニークの管轄である兵器工場に移ってきたのだ。その頃ナチは空っぽに近い市のゲットーを閉じようとしていた。

ミリーによれば、レノンバスキーはドイツの犬、告発は自分をよく見せたい為だったというのだ。このレノンバスキー達のおかげで工場のヘニーク達13人のユダヤ人警察官が余計なものになってしまった。