chuka's diary

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私はキャサリン・ジェーン:Justice 4 All 

 Bloke T Deans
私がキャサリン・ジェーン・ウメザキ(=Katherine Jane Fisher)さんのレイプ事件及び、その後の日本でのレイプ被害者代表としての活躍を知ったのは、iwa*ima*u*a1949さんの6/6 付けのブログ記事、『日本の皆さんに言いたい、沖縄を見て、米兵によるレイプ被害者、キャサリン・ジェーン によってだった。
 
彼女の本、『私はキャサリン・ジェーン 涙のあとはかわいた』 の英語版 ‟ I am Catherine Jane” を Amazonでオーダーしようかと思いながらネットサーフインを続けた。 彼女のレイプ事件に関する記事を読んでいるうちに、あの写真にであった。
前回記事で彼女がBloke Deans 容疑者(上のマグショット)の顔写真を掲げているフォトがそれである。私はそれまで、容疑者は彼女と同じく白人だと思こんでいたので、これには非常に衝撃を受けた。
 
それには理由がある。
米国での黒人による白人女性レイプ事件に関してだ。
白人女性をレイプしたと疑われた黒人男に明日はない、即刻リンチで、ビリーホリディのブルースのごとく‟奇妙な果実”となるか、警察につかまれば、白人裁判員による判決で監獄送りか死刑だ。後で良心の呵責から被害者が告白しても、もう遅すぎる。今日ではそういったケースの多くは冤罪ではないのかと疑われている。
 
DNAによる犯人確定が可能になった今日、すでにレイプ罪をで服役している容疑者の無実を晴らすプロジェクトにより、一人の黒人が十数年にもわたり収監されていた刑務所がら釈放され地元TVでも話題になった。その母と偶然話をする機会を与えられ、黒人サイドからの視点に私はひきつけられた。
 
私は、今日日本でレイプ被害女性を代表する活動家であるフィッシャーさんがウソをついている、と言っているのではない。それどころか彼女は非常に勇気ある女性であると思っている。しかし、彼女がマスコミの前でプレゼンしている内容と実際の事実にはギャップがある。単なる視点の違いかも知れない。だが、被告は裁判で有罪となるまで、無罪である、という民主主義社会の法原則が私の頭から離れない。そういった理由でこのブログを書いている。
 
私はネットに掲載されている多くの英語記事やコメントを読んで考えた。日本語の記事は彼女を手放しで称賛するものばかりであるが、英語記事やコメントはかなり厳しい見方をしているのが多い。
ところで、私の方も、数々の記事を読み比べているうちに、事実のエラーにきずいた。
彼女のレイプは、ある記事に書かれていたように、容疑者のバン(=van)の中ではなく、彼女のバンの中で起こった。ある新聞の記事が間違っていたのだ。
彼女は、横須賀基地近くのバーでボーイフレンドを待っている間、どういうわけかバーで知り合った容疑者と彼女のバンに。横須賀基地の側のパーキングロットに駐車中のバンでレイプ、というのが真相らしい。被害者は、酒の中に薬を入れられ、気が付いたらレイプ、と言っている。
 
横須賀の警察署では尋問ばかりで、犯行後の血液・尿検査をしていないので、彼女のアルコール度とか、エクスタシーやゼネックス等のデートレイプ用のドラックの検出もされていない。
彼女は犯人のDNAを検出させる為に、おしっこを長時間じっとこらえていたそうだが、結局警察にはその気もない、ということが分かり、トイレでした後、悔し涙にくれたそうだ。犯人のDNAについては知らないが、その尿には、コカイン、覚せい剤をはじめ、デイトドラッグとして名高いベンゾ系薬物の残滓が検出可能なので、彼女が果たして薬を盛られたかどうかという疑惑に対する一つの指標となることができたのに、日本の警察は全く関心がない。もちろん、彼らの関心は、コンセント、つまり合意か否か、にあることは疑いもない。
呼び出された容疑者も同様に、アルコールをはじめ、他のドラッグ、コカイン、メタアンフェタミン等の尿及び血液によるドラッグのテストも一切なし、結局は、双方の言い分だけが証拠となるわけだから、彼女がこのレイプ裁判に勝つメドは無し、と判断され、証拠不十分として不起訴にされた、ということは充分考えられる。
 
日本ではコンセントのバーは欧米諸国に比べれば衝撃的に低い。
が何といっても、イスラムにはかなわない。ベールで被われない手を見せただけでも、男は興奮、誘いと思いこむ。これはバーなし。
米国では、州によって違うのだが、高いのは、もちろん同性結婚を真っ先に合法化した加州だ。しかし法廷でのバーの高さは、金次第。要は判決の沙汰も弁護士次第だ。あのケネディ大統領の甥のレイプ事件は恰好の例である。
 
 
この不起訴処分の理由は、お定まりの証拠不十分だけで、一切の詳細につては明らかにされていない。
 
多くのコメントは、日本の供述、自白に依拠した警察の捜査方法や遅れた司法制度に向けられていた。
 
事件発生から2年後の2004年、彼女は、容疑者に損害賠償を求める民事裁判を起こすのだ。ところが、地裁でいよいよ審議が始まるという直前に、容疑者側は出頭をドタキャン、容疑者はすでに米国に帰還、名誉除隊となっていた。
 
私は竹島紛争のブログ記事を通して、数々のネトウヨの反コメを読む機会を与えられたのだが、これらの方々は国際法について意見を述べたつもりなのだろうが、刑事と民事の違いも分かっていない方がほとんどで驚かされた。
 
私達が損害賠償とか、交通違反による罰金を要求され、いかにそれが理不尽であっても、法廷に出て抗議しなければ、原告側の勝利となってしまう。このレイプ事件では、まず、不起訴処分になった容疑者の方が有利な立場なのだが、年期明けで除隊となれば、これ以上日本に残ることは、この容疑者が法的にも経済的にも困難な立場に置かれることになる。コメントの中には、自分だったら、日本に残って自分を弁護する、というのが一つあった。しかし、米軍側からは、法に従い、帰国を促されたこの容疑者に他の選択はあったのか?というイシューが出てくるはずだ。
 
とりわけ、米国の黒人カルチュアとして、警察に象徴される権力によるブラックマン=黒人男の迫害、受難という共通意識はいまだに深く根強く生きている。逃げるしか道はない、という思いもあったのではないか、と拙者は想像してしまうのだ。