chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

戦時下の朝鮮人家族:When My Name was Keoko(2)

戦争の進行に連れ家族それぞれの運命も変わっていく。

 

まず大好きな叔父さんだ。

ある夕方の事、Sun-heeの親友『とも』がこっそり会いに来た。この日本人少年は彼女の叔父さんが昔作ってくれた針金細工にたくして近々軍による貴金属接収があることを知らせにきたのだが、あいにくSun-heeはそれを叔父さんに対する警告と誤解してしまった。 

さっそくそれを叔父さんに伝えた後叔父さんは忽然と姿を消した。日本軍に逮捕されれば待っているのは拷問と死であった。当然その影響は本人だけに限らす家族にも及ぶのだ。

 

翌日さっそく点呼があった。日本軍は朝鮮人達から宝石から台所用品にいたるまで金属製品を残らず接収していった。しかし自分の間違いを悟った

Sun-heeは後悔してもしきれないという深い悔恨の情に沈んだ。

『今隠れておいた方があのまま印刷屋を続けているよりずっと安全だ』と父は娘を慰めた。

しかしその日以来Sun-heeは毎晩床の中で音を殺して泣き続けていた。

見かねた母がある晩枕元で

『善意からの間違いなんだから間違いをおこした本人は自分を許してもいいんだよ。』とそっと囁いた。

しかしSun-heeは母の慰めの言葉にも無言であった。

『今は出来ないかも知れないが、いつかきっと出来るようになる』と言い残して母は静かにその場を去っていった。

『でも本当は純粋な善意からしたことじゃなかった、誰も知らない重要な情報を手にしたことでオッパ(=長兄)を出し抜きたかった。だからもし叔父さんが生きて帰って来なかったら自分を許すことなどとても出来そうもない』

とSun-heeは心の中でつぶやいていた。

 

一家は叔父さんの事で当局から何かにつけて追及を受けることになったが、教頭の父は彼の『親日派』の立場を利用して知らぬ存ぜぬで押し通した。

 

ある日、米軍の飛行機が飛んできて空からビラを撒いた。

Sun-heeは密かにそのビラを隠し持っていた。家に持ち帰り父に見せた。

父はそれを読んだ後すぐに焼いてしまったが、

『ビラはマッカーサー将軍からだ。朝鮮人は日本人ではないから米軍の敵ではない、だから米軍は朝鮮を爆撃はしない、と書かれている』と家族に告げた。

 

朝鮮人は日本人ではない!

それは当たり前の事だったのだ。

叔父さんや隣のお婆さんのかたくなな反日的姿勢がなぜなのかSun-heeはやっと理解できた。

 

その日からSun-heeは日記をつけ始めた。いずれ叔父さんが帰ってきた時に読んで貰おうと思ったのだ。ただし、日記は日本語であった。ハングルを習うことは禁じられていた。

 

だがある夜遅く皆が寝静まる頃になって突然点呼がかかり家宅捜索が始まった。各々の家の中に隠し持っている反日書類を根こそぎ調べ上げ反日容疑者を逮捕するのが目的だった。やってきた憲兵隊に日記がみつかってしまった。

 

『大変綺麗な字で書けているが中身がよくない。これは天皇陛下を屈辱するものだ。今日だけは許してやるがこれ以後は厳罰に処するから覚えておけ』と言って日本軍人は日記を台所のストーブに投げ込んだ。

憲兵隊が去った後に押さえつけていた兄の腕を振り解き、Sun-heeはストーブに駆け寄った。手を中に突っ込み日記を取り出そうとしたがもう後の祭り。かわりに手にひどい火傷を負った。

『日本側が焼いたのはただの紙だ、しかし書かれた言葉までは焼くことは出来ない。』といって父はSun-heeを慰めるのだった。

翌朝Sun-heeは再び日記をつけ始めた。

 

戦争はいよいよ末期を迎えた。北朝鮮を根拠とした抗日運動に合流し抗日新聞を発行している叔父さんに対する官憲の追及をかわす為に兄のTae-yulは日本陸軍に自ら志願してしまった。

学校を卒業すれば待っているのは徴用という名の重労働だ、それに日本軍兵士の家族には特別に米と食糧が配給されるのだ。しかし残された家族はいわば自分たちの犠牲となった格好の兄を思って悲嘆にくれた。

 

陸軍の新兵訓練は過酷であったが、Tay-yulは余計な事は一切考えないで訓練に耐えることのみに集中することでうまく乗り越えていた。がその間に海軍航空隊がほんの少数の朝鮮兵志願者を募っているのを知りそれに応募。日本内地の訓練所に向かったのだった。

これは『竹の森遠く』の中で主人公ヨーコの兄が志願した『予科練』のことである。飛行機を操縦するパイロットは何といっても当時の少年達の憧れの的であった。Tay-yulもその例外ではない。しかし目的は神風特攻隊となることであるから全くの自殺志向だ。

 

自殺は正常な人間にとって生理的に受け入れ難いのが普通である。

 

Tae-yulは特攻の部分は後で対策を考えることにし、当面は戦闘機パイロットとしての訓練に身と心を没頭させた。

 

実際に沖縄戦で11人の朝鮮人神風特攻隊員が玉砕している。

 

この本が韓国でどう見られているのか拙者は全く知らない。この金一家は外見からすれば“親日派”家族だ。この本は戦後の反日教育下で育った韓国人読者一般にとってあまり居心地のよいものではないだろうと拙者は思ってしまう。

Tae-yulは日本軍将校になった。

反日感情を政敵攻撃の手段とした独裁者李承晩を軍事クーデターで倒して実権を握り長期に渡って独裁政治を続けた朴大統領も日本軍の若き将校だった。彼のことを朝鮮語を話すもっとも日本人らしい日本人と評した人もいるくらいだ。この朴大統領は暗殺後『親日派』リストに入れられている。

 

しかし米の読者達の見たものは日本統治という名のもとに行われた圧制とその下で虐げられた人々の姿である。自由と人権を認めない社会に生きなければならない人々の苦しみと悲しみをこの本は非常にうまく表している、というのが読者達の全員一致した見解なのだ。

そういう視点からすると、この朝鮮人家族の姿は戦時下の日本の家族の姿に似てはいないか?

 

戦前の日本人には自由も人権も無かった。天皇制に不適切と見なされない自由のみが許され、天皇だけが国民の自由の範囲を設定する権限を持っていた。これが大日本帝国憲法下の日本国民の基本的人権であったのだ。その範囲を超えた国民は厳罰に処されたのだ。

それだけではない。大日本帝国憲法下では天皇の命に従う事は国民の法的義務であった。だから天皇の名において国民は皆勝つ見込みの全く無い無謀な侵略戦争に強制的に狩り出されて死んでいかねばならなかったのだ。特攻隊に強制志願させられたTae-yulの絶望的心情は当時の日本の青年達と驚くほど共通したものがあるはずだ。

 

敗戦を迎え、Sun-heeは親友の『トモ』に最後の別れを告げに行く。

 

トモはこれまで育ってきた唯一の家を離れるのだ。これから見知らぬ国で暮らすということについてどんな気持ちがするだろうか?とSun-hee。

「兄さんのこと聞いたよ。何といって慰めたらいいのか・・・」とトモ。

 

兄のことは絶対に口に出さないのが家族全員の暗黙の了解だった。だからこれはショックだった。そのせいでトモに言おうと思っていた別れの言葉が頭の中で突然消えた。

「元気でね。」というのが精一杯のSun-hee。あらかじめ用意していた『贈り物』をトモの手に押し付け、駆け去ったのだった。

この親友トモへの最後の贈り物はあの叔父さんが消えた日にトモがくれた小さな小石だった。この小石と一緒にトモが「朝鮮の小さなひとかけら」を日本へ持って帰って貰いたかったのだ、二人の間の友情の思い出の為に。

 

上記の箇所についてたくさんの読者が胸にせまる切ない思いを感じたと書いていた。

Sun-heeと『トモ』の間に初恋にも似た感情のつながりが存在しているのではないかと指摘する読者が少なからずいる。

中にはこの『トモ』との関係をストーリーとしてもっと発展させるべきだったとおせっかいをやく読者がいることも知らせておこう。