chuka's diary

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コメント:朝鮮人の強制連行

以下のコメント、ありがとうございました。

 

日韓併合に関する極端な考え方としては「現在日本にいるのはみんな強制連行された朝鮮人だ」というのと、「朝鮮人はみんな強制ではなく、自分の意思で日本に来た」という結論です。わたしはその2つとも賛成はしていません。しかし「強制ではない」の中に、本当の自由意志はあったのか・食料簒奪や皇軍化教育はどれだけ影響したのか、、数値でなかなか測り辛いことなので、明言も難しいですね。そして、強制連行について、個々の具体的な内容が 聞き取り調査されていないこともよくないですね。生存者が減る一方で、真実は憶測の中に埋もれてゆくのでしょうか?

 

戦後の在日人口が"強制連行"された人々の子孫かどうか、下の外務省の資料が参考になります。このデータは研究者と"強制連行"説のいずれの側に立つ論客にもすでによく知られているものです。

 

1939-1941の募集(半島で募集し職場労務に引き渡す)では後で家族呼び寄せをさせてくれた就職先が多くあった(外村大研究室サイトの資料より)。

外務省統計によると、1960年の在日登録者総数の内、18.1%が1939以前に来日した人達、労務動員中が5.8%となっている。労務動員期前の方がより多く亡くなっていること、1960年は日韓の国交断絶の時期であったこと、を考慮すれば在日数の大部分は日中戦争前に来日した方々の子孫のようです。

 

日本政府は1939年以前は植民地朝鮮人労働者の入国をむしろ制限していた。理由は内地の労働者層への懸念とも言われている。植民地朝鮮人達が来日し始めたのは日韓併合直後から。

関東大震災、1923、で少なくとも6000人以上の在日朝鮮人が、社会主義者とぐるになって叛乱を企てている、という流言飛語で殺戮され、国内だけでなく国際的にも大きな注目を浴びた。その時も被害者朝鮮人達が強制連行されて来たという情報は無く、その直後には在日労働組合の結成があり、在日労働者は今日でいう経済難民だと思われる。

 

www.sanae.gr.jp

 

" Fighting for the enemy" 2013、によれば、戦後、日本統治はすべてネガティブと見なす"民族史観"が韓国で主流となった。強制連行はこの民族史観の旗印の一つとなっている。日本でもこの史観をそのまま受け継いだ研究者がいる、と説明されている。

 

朝鮮半島の近代化は日本総督府の統治下で始まり、敗戦時には半島北部は重工業地帯となっていた。農業人口中心の住民の生活様式・中世的社会が、稲の改良、学校病院や交通手段の整備、労働力が工業に吸収という近代化への道に沿った変革を遂げた、という研究者達が1990年代から今日にかけて現れている。

 

日本は日中戦争でつまずき国家のカタストロフィーに終わった。しかし内鮮一体は植民地朝鮮の運命を変えた。総督府は植民地朝鮮と日本の一体化は無理と見ていた。その主要原因はまず日本語。

日本語の職場環境で無理なく働ける朝鮮人は25%。だから労務動員された大多数は日本語で偏見にさらされ苦しむことになる。

それから小学校6年卒業が40%前後で、これには女性も含まれている。日本の徴兵制度は小学校6年卒業が規定であったから、1939年当時はまず無理。1944年度末からの徴用・徴兵制度は日本が本土決戦=玉砕、を予期し実施されたもので、植民地朝鮮と台湾は大変な巻き添えを喰ったとしかいいようがない。

 

日本側から見れば植民地朝鮮は外からの唯一の頼みの綱だった。創氏改名までさせて日本人化を図った。朝鮮では81%で成功し、しかも不正確だった従来の戸籍の整理の絶好の機会となった。しかし台湾ではわずか7%。台湾総督府は朝鮮総督府よりはるかに消極的であったことがわかる。

 

労務動員では大多数は朝鮮北部の工業地帯に送り込まれたが、現在は北朝鮮なので戦後の事情は知られていない。同様に国交回復後の韓国政府の対応も日本では取り上げられていないようです。

国交回復の交渉では日本側は元日本兵、軍属、徴用者個人に金を払う事を申し出たのだが、韓国側は一括払いを要求した。しかし韓国側が払った金額はほんの涙金にしか過ぎなかった。それを不服として新憲法下の平等にもとずき、戦後元日本兵、軍属、準軍属としての慰安婦数人が訴訟を起こしています。

 

アジア太平洋戦争韓国人犠牲者損害賠償請求事件、1991、として訴状がネットに掲載されている。その中に34人の訴訟人個人史が記述されているが、短文にもかかわらず、当事者の方々の過酷な人生がじかに伝わってくるようです。その中には、慰安婦第一号として名高い金学順さんも入っている。

 

コメントで指摘された通り、これからも日韓の歴史についての”植民地支配の記憶の闘い"(パク・ユハさんの"帝国の慰安婦")は続くと思われます。特に資料の解釈、及び第三者(欧米研究者)の視点などが加わって、近い将来の研究成果が期待されている。