chuka's diary

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秦郁彦と"戦場の性"

慰安婦問題から消えた日本人慰安婦をリサーチをしています。

 

長年に渡って韓国挺体協(正義記憶連帯)に率いられ、終わりそうもない慰安婦リドレス・ムーブメントに学術的に挑戦したのが国際的に著名な日本人歴史学者の秦郁彦となっている。その彼のシグネチャーブックは"慰安婦と戦場の性"1999である。この本は"Comfort Women and Sex in the Battle Zone" というタイトルで2018年に英訳版が刊行された。

 

 

秦氏はそれまで断片的に出回っていた都市部の大規模な慰安所とわずか数人を抱えていた前線の慰安所等の人種別慰安婦数をていねいに整理総括した結果日本人慰安婦が一番多かったと主張している。

 

また、公娼登録された日本内地の売春従事者、酌婦・娼妓の総数が日中戦争初期1937年から内地ではごっそりと減少しているが、朝鮮半島ではほぼ横ばいのまま。そこから推察されるのは日本人売春婦達は大量に大陸に移動したが、半島では新人やアマチュアをリクルートする傾向があり、それが悪徳業者の跋扈につながったのではないか、とも書いている。この指摘は日本人慰安婦の年齢層が半島出身者より上であり、その中には30歳前後の年増女性が少なからずいた事から的をついているようだ。

 

半島からビルマへは慰安婦達は軍の用意した大船団で同胞業者に率いられてやってきた。しかし、マニラ市周辺では業者は日本人のみが指定されていたとも、米軍による日本軍アメニティ報告書にしるされていた。だから朝鮮人慰安婦も特定の地域に集中する傾向があったと推測される。

 

朝鮮人慰安婦のことは戦後になって一般兵士の苦渋に満ちた前線経験をテーマとした小説や映画によく出てきていることもあり、朝鮮人慰安婦が大多数を占めていたという帰結にジャンプしてしまったのではないか、とも秦氏は推測している。大陸の前線は朝鮮人慰安婦が多数だった。だが数としては、日本人、現地人、朝鮮人、台湾人慰安婦という順だろう、というのが彼の推測である。

 

現地人には占領地出身女性で、ビルマやインドネシアなど複数の人種、それにユーラシアンと呼ばれた白人混血女性も含まれる。これらの人達はアジア女性基金に大挙して申し込んできたことから、人数的には相当なものだったという事も考えられる。中曽根元総理が設置したボルネオの海軍慰安所は現地女性で占められていた。クマラスワミ国連人権委員会特使は中曽根氏のような慰安所設置をした人は戦争犯罪人として起訴されることを日本政府に推薦している。

 

もちろん、確実な人種別人数はわかっていない、と秦氏も断っている。日本人慰安婦の数が韓国側や英語圏の設定よりかなり多めなのは非常に重要なことである。なぜなら日本人慰安婦こそが慰安所設置の動機に直接つながっているからだ。

 

帝国陸軍の慰安所は戦地のレイプ多発を規制する目的で設置された。レイプに走るのはセックス不足の鼻血ブーが原因で兵士にセックスを定期的にさせておけばレイプはなくなるという、何だか女郎屋の宣伝文句のような俗説に従ったからだ。

 

しかし上の説を支える医学的根拠はない。それどころか、今日では戦場のレイプは敵を威嚇し殺傷する武器として非戦闘員女性に使ったと見なされている。だから動機は性欲よりもヘイトなのだ。従って帝国陸軍の唱えた鼻血ブー説の存在は今や怪しげなものとなってしまった。

 

当時陸軍軍医で精神科医だった早尾乕雄氏は、中国の戦地に派遣されレイプも含めてさまざまな犯罪に走る兵士達の動機を精神衛生の視点に立って突き止めようとした。兵達の犯罪行動は流行だとさえ書いている。まず盗み略奪に関しては軍が兵の現地調達を要請するかぎり無くならないと悲観的。また彼らの道徳観の堕落という精神状態の悪化はホームシックが原因ではないかと疑っていた。

 

慰安婦募集は師団ごとに地元に要請され、出身地から従業女性が送られてくるので、地元の方言で故郷の話でもすれば兵隊達の荒ぶった気分も少しは落ち着くのではないか、と日本人慰安婦には大きな期待がかかっていた。

 

中国大陸では日本人慰安婦の値段が一番高く、次は朝鮮人慰安婦、最後は中国人慰安婦となっていたのは、身分社会のカルチュアに起因しているのだろうが、効果という点も考慮されたものだと思われる。

 

ところが、マニラ市では日本人も朝鮮人も値段は同じだったと報告されているところから朝鮮人慰安婦は日本人との近さに関しては同等と見られていたのかも知れない。