chuka's diary

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吉田清治は本当に日本を貶めたのか?その2

クマラスワミ弁護士はなぜ秦郁彦と吉見義明の忠告を無視してまで吉田清治を引用したのか?
 
秦郁彦は反慰安婦派(慰安婦売春婦説)、吉見義明は慰安婦支持派の論理的リーダーである。この両者の論争の焦点は、帝国陸軍と慰安婦制の関連性の有無、として知られている。両者とも東大卒の歴史学者だ。だが、日本の慰安婦問題に登場するグループはこの二つに分けられるというのは全くの神話である。
 
金学順が元慰安婦として名乗り出た1991年を慰安婦問題元年とするなら、過去30年の間に登場したプレイヤー達は、日本側からざっと一見しただけでも
 
・高木弁護士などの当時の日弁連の日本の戦争責任追及派、
・吉見義明を論客とする歴史実証派、
・河野談話に代表される日本政府(アジア女性基金を含めて)
・最高裁をリーダーとする日本の司法制度
河野談話以前の慰安婦否定を引き継ぐ今日のネトウヨ、その論客は秦郁彦、今日のリーダーは安倍首相
 
と多様である。日韓慰安婦イシューの歴史を理解するには、上の各グループのスタンスと役割を認識する必要があると私は思う。
 
横道にそれてしまったが、クマラスワミ報告に引用されている吉田清治に関して興味深いブログが下である。
 
 
クマラスワミ報告の全文和訳もワンクリックで読める。
吉田引用の重みについてはほんの数行であり大した意味なし、というのが上のブロガーの感想であるが、読者はこれと同意見だろうか?
 
前回で述べたが、クマラスワミ弁護士の属する欧米法曹界の視点に立てば、先行するサハリン裁判で法廷証人をなった、さらに1991年に始まった元慰安婦第一号金学順が名を連ねているアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求裁判の中の重要参考人として告訴状に引用されている吉田清治のクレディビリティ(信憑性)は100%絶対である。しかし、日本国内では吉田清治の法的クレディビリティについては全く重要視されていない。
 
もし吉田清治のクレディビリティが法的にチャレンジされていたら、クマラスワミ弁護士は吉田のものには一切
近寄らないはずである。彼女の弁護士としての倫理がイシューとなり、弁護士キャリアも終わる。
又、高木健一弁護士達の一連の韓国被害者補償請求訴訟についても同様な扱いを受けるだろう。偽証が重要なエレメントになっている裁判自体のクレディビリティがイシューとなるからだ。
河野談話の前段階調査で参考人として召喚されたのなら、政府は偽証調査をするのは当然。しかし日本では法的イシューよりメディアを使った秦・吉見の論争合戦に関心が集まってしまった。
 
1996年のクマラスワミ報告は日本国内では評判が非常に悪い。しかし、当時は女性の人権の高揚期であり、韓国はもとより海外で高い評価を受けたのだ。
 
なぜ日本では悪評であったか、この報告を読めば理由は明確である。
 
この報告書は当時の日本人がナイーブに信じていたような慰安婦問題の大岡裁などではない。
日本軍の慰安婦制度を軍性奴隷制度として定義することにより、日本の戦争責任を認めさせ、日本政府から元慰安婦達への謝罪、補償金を払わさせるのが目的の報告である。
これは2019年の韓国側の主張と全く同じということだ。
 
当時すでに日本国内で6つの慰安婦裁判が進行中であり、これに援護射撃(いや、正面からの攻撃?)をしたのがこの報告書だった。
軍性奴隷制度から導き出した『人道に対する犯罪』は1945年、ドイツの戦犯を裁く軍事法廷でユダヤ民族ジェノサイドが適用されたのが最初である。
俗にホロコーストと呼ばれるナチス政権のユダヤ民族ジェノサイドは、強制連行・収容所・飢餓と強制労働・ガス室、という連鎖で知られていて、吉田清治の嘘は強制連行のパートにピタリと当てはまった。
 
1996年当時と言えば、ユーゴスラヴィア戦争の女性の大量レイプが国際的に大問題となり、リーダーや関連する被告は『人道に反する犯罪』を犯したという理由で有罪となった。慰安婦関係ではヒックスの『慰安婦』が刊行されたばかりだったが、この本は世界的な大ヒットとなっていた。一方吉田清治自身も‟時の人”として国内・国外の有名人となり事実上日本人代表として謝罪活動に多忙だったようだ。
上の状況を考慮すれば、吉田清治を引用する事がクマラスワミ報告のクレディビリティに大きく貢献したと言える。だからクマラスワミ弁護士が吉田の部分の抹消要求を2014年に拒否した理由が察せられるはずだ。
 
下は参考として当時のタイムライン。
 
1977年、『朝鮮人慰安婦と日本人』 在日女性を労務者と同じように海南島の軍慰安所に送る。
1982年、5月、講演で慰安婦狩りを話す 朝日新聞記事となる。
      9月、11月、サハリン裁判で法廷証言、済州島で慰安婦203人を捕獲、サハリンの慰安所へも送ら         れた
1983年、『私の戦争犯罪』 (済州島での慰安婦狩り)第ヒット
1983年12月、韓国天安市の国立墓地に、謝罪碑を建立。
      吉田清治は式典参加者の前で土下座し謝罪。
 
      元養子が死亡、労働運動の幹部だった、息子は会ったことなし
 
1989年 韓国語版『私の戦争犯罪』出版
1991年 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟の告訴状の提訴理由の一つとなる
1992年、秦郁彦、済州島で調査、吉田清治の慰安婦狩りは嘘と確信、メディアに公表
 
1993年、河野談話 :::根拠となるヒアリングの対象・阿比留記者より(行われたかどうかは確認できず)
1995年 吉田清治、高木健一法律事務所で ドキュメンタリー映画・本 " Silence Broken" の作者Dai Sil Kim      -Gibson のインタビューに応ずる
      クマラスワミ弁護士のインタビューを断る(ネトウヨブログ・続・慰安婦騒動を考える)
 
上の"Silence Broken"では高木健一弁護士の事務所で、吉田は彼の本について脅迫に悩まされていること、しかし彼の本は事実だ、と述べていた。この本は1999年に発行されたのだが、著者も吉田清治を確信している。この本もかなり丁寧に調査されており、アマゾンでも高く評価されている。最初にビルマのミートキーナで慰安婦に遭遇した二世通訳の平林軍曹にもインタビューをしていた。
 
クマラスワミ報告について最後に一言。
クマラスワミ報告の最期の部分、パラグラフ#137に日本政府への勧告の一つとして、
 
名乗り出た女性で、日本軍性奴隷の女性被害者であることが裏付けられる女性の個々人に書面による公的謝罪を行うこと、
 
原文では、victims can be substantiated as women victims of Japanese military sexual slavery となっているが、これなどはネトウヨが泣いてよろこぶこと請け合い。
つまり、民法基準に従って被害者認定がされなければいけないということだ。当然基準に外れた者は補償も受けられない。
 
この報告の最初のパートに北朝鮮の慰安婦の証言として、日本兵にクビを切られた慰安婦の体を食べた、というのがマジで報告されていて、秦郁彦をはじめ日本側からのクマラスワミ憎しの原因になっている。
しかし、クマラスワミ弁護士は、なぜ慰安婦の証言を重要視するか、という理由として、日本政府はこれまで証拠がないと主張、慰安婦の存在を隠してきた、という日本政府の司法妨害を指摘、しかし慰安婦証言は虐待証拠の宝庫だ、と述べている。
 
このあたりがクマラスワミ弁護士の論理はどこかおかしいという批判の理由だろう。
残念なのは、多くの人はこの報告書を日本人読者のように注意深く読んでいない、という事だ。または、金と暇潰しの国連のお役所仕事として無視されているのかも知れない。