chuka's diary

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竹島:ICJ提訴への道 その2

 カイロ・ポツダムSCAPINSF条約

 

前回の記事に、『「SF条約は竹島が日本領土」という認識のもとに起草された、その帰属が未確定とは言えない』、というコメントが寄せられた。これは今日のネトウヨ御用学者の説、及びMOFA(外務省)の公式見解と全く同一である。

鳴かぬなら、鳴かせてみせよう、ホトトギス、というわけだ。

 

SF条約(対日講和条約)1951、では竹島が日本領に属するか韓国領なのが明記されていない。その点に関しては、日本政府及びネトウヨ御用学者達と、韓国を含めて海外の法学者達の見解は一致している。しかし、上記のように両者の間では全く正反対の解釈がなされている。

 

ところで、SF条約では明記されていない領土問題は竹島だけではない。北方領土、及び尖閣諸島についても全く同等の処置がなされている。要するに、SF条約では日本の領土は100%完全には確定されなかった、もしくはできなかった、と見るのが適切だと考えられる。

だから日本の領土に関してこれではポツダム宣言の完結とは言えないのではないか、という疑問が残るのも当然だ。

 

これらの未解決の領土問題の関係国にあたる、中共、台湾(=中華民国)ソ連、韓国はすべてこのSF条約に加盟していない。韓国政府がSF条約に加盟して領土問題に決着をつけたいという意思を明確にしていたことはラスク機密書簡でも明らかである、がどうやら米側にブロックされた、という説が最近有力になってきているようだ。韓国はSF条約締結の邪魔者に他ならなかったからだろう、というのは拙者の憶測。

前回でも述べたようにSF条約はカイロ・ポツダムと続いた日本占領下における法的体制の終焉なのである。だから、SF条約で竹島が日本領と明記され、韓国もこの条約に加わっていれば、法的には全く問題はなく、日本側にとっては万々歳であるのだが、上の二件は全く実現しなかったのだ。

 

終戦直後からSF条約終結までの日本の領土の法的プロセスについては以下にまとめておいた。

1943年末のカイロ宣言は、米英中の三国が、中国領は中国へ、日本が過去の領土拡張政策の過程(by violence and greed)で獲得したすべての領地から引き挙げること(=expelled)、ということに合意したものである。

 

1945年、イタリア・ドイツ降伏後も戦争を続ける日本側に対して、再びかの連合国三人組み、米・中・英がポツダム宣言を出し、日本にこの宣言の全面的受諾をせまった。

この宣言の第8条によって降伏後の日本の領土は以下のごとく規制された。

 

(8) The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine.

カイロ宣言で設定された事項は実行に移される、日本の主権は本州、北海道、九州、四国と我々(=連合国側)が決定する小島に限定される。

 

となっているのである。

1945815日の敗戦によるポツダム宣言受諾により、日本は連合国による占領体制に入った。

占領下の日本では、SCAPIN(= Supreme Commanderfor the Allied Power Instruction, 連合国最高司令官による司令)によって行政が行われた。

その中で竹島に関するものは、

6771946129日、日本の領土から竹島は除外

#10331946646日、マッカーサーラインの設定、竹島近界への日本船に よる接近禁止 

#1778 1947年7月16日、米軍は竹島を爆撃演習区域に指定、

3点となっている。

最後の爆撃演習区域設定であるが、米軍が1948630日の演習で、韓国人漁師達10人以上死亡したという報道があるそうだが、ソースについては私は調べていない、ということを断っておきたい。日本人は連合軍占領司令によって竹島及びその近海から排除されていたが、韓国側には規制はなかったということにもなる、この点は法的に重要だと思われる。 

1945815日の日本の敗戦時から朝鮮半島は38度線で二分された。38度線以南は連合軍の管轄下に置かれた。朝鮮半島はカイロ宣言の該当領地であるから、日本人は全員引き揚げとなってしまった。

1948815日、韓国は独立し李承晩が大統領に就任。米国は韓国政府を承認した。

 

ところでSF条約の草案と関連する政治的事件は以下の通りである。

 

草案#1 1947319日に完成している。竹島は韓国領と明記

草案#2 194785日 竹島は韓国領

草案#3 18481月8日 竹島は韓国領

草案#4 1949年 1013日 竹島は韓国領

草案#5、1949112日までは、やはり竹島は韓国領と明記されていた。

***この時期において冷戦対峙を目的とした米側の戦略変化があったという説が出ている

草案#6、128日、竹島は日本領だと明記される

草案#7 11日後の1219日には、竹島は再び韓国領に逆戻りである

草案#8 19491229日、竹島は日本領にまた逆戻り

草案#9 195013日、同じく竹島は日本領

**ダラス氏が米代表となる。

**1950625日、北軍、38度線を越えて韓国に侵略を開始

草案#10 195087日、竹島の明記なし。

草案#11 1950911日 竹島の明記なし。

***915日、マッカーサーに率いられた米国海兵隊部隊はソウル近郊の仁川に上陸、後を追った国連軍と共に大攻勢に出て釜山を包囲していた北朝鮮軍を38度線まで追い返す。

***101日、調子ずいた韓国軍が李大統領の命令で38度線を突破して北朝鮮に侵入、中国人民解放軍の参戦を招く。

 

草案#12 1951312日 竹島は日本領

草案#13 1951317日 竹島は日本領

草案#14 195147日 竹島は日本領

***411日、戦争拡大阻止の為にトルーマン大統領は暴走を続けるマッカーサー最高司令官を罷免

 

草案#15 195153日 竹島の明記なし

草案#16 1951614日 竹島の明記なし

草案#17 195173日  竹島の明記なし

草案#18 1951720日  竹島の明記なし

 

195191日、SF条約は日本と48カ国が署名している。

日本が頼みの綱としているラスク機密書簡は1951810日付けである。それは最終草案の#18の後にあたり、SF条約に関しては竹島を明記しないことはすでに決定していたと考えられる。要するにこの書簡は韓国の李大統領を黙らせる為のラスク氏の脅かしだとも考えられる。

 

また、SF条約の意図は明確である。竹島の所属に関しては条約では決定をしなかったということである。つまり、尖閣、北方領土と共に、日本は中国、ロシア、韓国と各個に交渉しなければならないということなのである。そもそも関係国が加盟しない条約であるから、無関係な加盟国側にはこれらの領土問題を決定する権限はない、と考えるべきであろう。