chuka's diary

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A Town Like Alice :日本軍の捕囚達 (3)


A Town Like Alice Trailer

しかし翌日このジョーは老弁護士のオフィスに現れなかった。良心の呵責にかられたのはこの老弁護士の方だった。

実は、ジョーの方は、今や大金持ちになったジーンに結婚を申し込み、オーストラリアの未開地に一緒に住んでくれということはとても出来ない、と判断してすべてを諦めることを決心。ヤケクソ気分でロンドンのとあるパブで酔っ払って大立ち回りを演じ、警察のお世話になっていたのだった。

 

というように二人の曲折的ロマンスはそれ以後も延々と続くのだが、最後はハッピーエンディング。だから読者の満足度も非常に高いわけだ。

 

この本はウィークエンドに最適な長さだ。大衆向けとしてよく書けているせいか、こむずかしい屁理屈抜きでストーリーがスラスラとアタマに入ってくる。

そのせいで、今日でもなおアマゾンやグーグルにポジティブな読者レビューが寄せられているのだ。

興味深いのは読者多数はこの作品のテーマをカルチャー・クラッシュ、つまり異文化の衝突、ととらえていることだ。英国、オーストラリア、日本、マラヤといった国や人種別だけでなく、文化の衝突は社会内部でも起こっているらしい。

 

ナレーターの老弁護士は完璧なイギリス紳士である。戦前に妻を亡くした後は独身を通し、ロンドンの快適なマンションで気楽な独り暮らし。仕事を終えれば会員制紳士クラブで社交ブリッジやワインを楽しみ、ディナーもたいていはもそこでとる、といったような。

だから自分の息子よりもはるかに若いジーンに恋してしまっても決して彼から告白することなどは出来ない。傍若無人のジョーに嫉妬を感じながらも、後見人としてのプロフェッショナルな立場にひたすたとどまってジーンの町おこしビジネスの資金の面倒を見る。

もし自分が20年若かったら、という思いを心の奥底にじっと秘めたまま。

 

TVミニ・シリーズでこの老弁護士を演じているのが、英国きっての名優のせいか、彼の片思いがいっそうせつなく際立ってしまったようだ。

しかしながら、この老弁護士、おそらく著者自身の投影か? への読者による評判は全く芳しくない。どうしようもなくアタマの混乱したお気の毒な人、といった見方が圧倒的だ。

しかも、この老弁護士のナレーションのせいでストーリー自体が爺くさくなって台無しだという非難まで寄せられていたのには驚かされた。

この老弁護士の特権階級にありがちな常に下を見下すような態度、これはきわめて社会習慣的なもので彼のせいではないのだろうが、特に民主社会に育った現代人は自然と反感を感じてしまうものらしい。

 

実はこの本の半分以上はオーストラリアが、それも文明を遠く離れたアウトバックと呼ばれる未開地帯が舞台となっている。英米の読者達は彼等の知らなかったオーストラリア文化に魅了され、口のなかでモグモグのオーストラリア英語は実にチャーミングということになってしまっている。

目玉焼きがステーキの上に乗っかったのが、オーストラリア式朝食とは。これで勝負はついたようなもの。

 

ところで1956年製作の映画にはこのオーストラリアの部分、つまりストーリーの後半がすっぽり抜けている。要するに、前半の日本軍捕虜物語が主題となってしまっているわけだから、『マラヤのレイプ』という何か意味ありげな副題付きで公開されていた。

これでは、『アリスのような町』というタイトルは一体何なのだ、と思ってしまう。

 

日本には古い洋画ファンが多いらしい。本を読んだことはないらしいが、この映画を見た人がネット上にかなりいた。

醜い顔つきの東南アジア系俳優をことさら選んで日本兵を意図的に悪役に仕立てているという批判が映画を見た日本側から出ていた。

それと、この映画は史実と違う、という日本側からの例のお決まりの批判も。

 

ところで意外にも英米読者多数は、作品中に登場する日本兵についての著者の描写はフェアだと思っているのだ。TV連ドラの方も原作に沿っている。

要するに日本兵達は占領軍として上から命令された事を遂行しているだけなのだ。ただし、彼らは外国語がまったく通じない、西洋文化・風習を知らない人々であり、彼らの行動は日本の文化的標準に他忠実に従ったもの、という解釈だ。

つまり、文化自体が残虐であれば、人々も残虐な行為を行うというわけだ。

 

これでは問題が、チキンとタマゴならぬ、人が先か文化が先かという堂々巡りになってしまう。

 

原作、映画、TVミニ・シリーズでも、一行に配置された日本兵達は個人的には非常に親切であり、子供達を抱えて歩いてくれた、となっている。

 

実は“心やさしき日本兵”というのは、この本だけの特許ではないのだ。

何と、韓国系米人の誇るチャンネ・リーによる慰安婦をテーマとした大作、“A Gesture Life”の主人公の元日本軍仕官 ‟はた氏”も典型的な“心やさしき日本兵”であった。

 

一行に最後まで付きそった年配の軍曹については、捕虜達はすっかり弱った軍曹の所持品を肩代わりして運んだり、軍曹の家族の写真を見せてしっかりするように励ましたりしているのである。亡くなった際にはお墓の前でちゃんと葬式まで行っている。

 

黒チキンを盗んだ罪でジョーを磔にした日本軍の隊長については、非常に残忍な性格の持ち主として描かれている。そのことは地元住民のマラヤ人達の口から明らかにされる。マラヤ人の村の男達は日本軍に徴集されて労役に狩り出された。当然のことながらこの本の中では誰も日本軍がマラヤの独立に導いたと賞賛するものはいない。

 

ジーンには実在したモデルがいた。

実際にこの事件が起こった場所は英領マラヤではなかった。

事件はオランダ領インドネシアのスマトラ島で起こった。従って一行は英国子女ではなくオランダ子女である。一行の総数は80人あまり。何と2年半にわたり歩き続け、この行進が終った時には半数以下の30人に減っていた。

 

同様に処刑されたオーストラリア兵捕虜のモデルとなった人物も実在していた。

この人はビルマ・タイ鉄道建設の強制労働に従事させられた。そこで牛を殺して囚人仲間を養おうとしたという罪で両手を鉄条網で縛られ木から吊り下げられた。そしてバットで長時間に渡り殴打された。この兵士が右手を鉄条網からはずしたのを日本兵に見つかってしまった。今度は罰として右手に鉄条網が打ち込まれた。この手の処刑のやりかたは日本軍の得意とするところであったらしい。

彼の処刑仲間は皆その場で絶命したが、彼だけ奇跡的に生き残り故郷のオーストラリアの奥地に帰還、日本軍の捕虜帰還兵として有名になった。

 

なお、捕虜の磔事件については第一次大戦中に実際に起きたことだそうだ。こちらの方は第一次大戦後よく知られた事件だったそうだから、第一次大戦に参加した著者はよく知っていたはずだというのが研究家の見方。

下手人はドイツ軍。しかしこれには因果関係がからんでいるといわれている。

ドイツ側の毒ガス使用に怒ったカナダ兵達がドイツ兵捕虜を殺害、それを知ったドイツ側がカナダ兵捕虜を磔にし殺害したのだそうだ。

 

戦争という異常な状況下では人間も正常ではいられない、ということなのだろうか。これは比較文化より精神病理学の領域だ。