chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

『 グループ闘う女』、田中美津さん、R . I. P.

田中美津さんは日本でウーマンリブを始めた人でした。

 

ウーマンリブとは、women's liberation movement (=女性解放運動)の略語です。女性解放or/and地位向上運動の歴史は18世紀まで遡るとウィキにありました。

世界的には1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争反対運動に影響された革新的反体制運動・カルチュアとして捉えられている。米では1964年に公民権法が制定され、職場での雇用・昇進に関する人種・性・高齢者差別が禁止された。過去の是正として女性は雇用や昇進面で逆に優先されることになった。結果として女性の社会進出が確立した。

さらに10年後の1973年には各州の中絶禁止法が女性の自由と人権を制限するとして違憲判断され中絶禁止法は廃止された。これは米のウーマンリブの大勝利だった。

 

しかし49年後の2022、トランプ大統領が任命した最高裁判事達によりついに女性の中絶の自由は覆された。中絶の決定権は女性ではなく再び各州に委ねられることになったのだ。

 

東京で田中美津さんによって生まれたウーマンリブは米のウーマンリブ及びベトナム反戦運動の高揚期の影響を強く受けているが、女性の生き方の自由を追求するカルチュア的性格が非常に強かった。新左翼運動の収束と運命を共にしたといっていいだろう。

 

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田中美津さんのガリ版ビラ、便所からの解放、は新左翼の集会で配られ、活動家女子学生に大きな共感と支持を得た。

 

男にとっての女は慰安婦で便所、と主張。

千田夏光の従軍慰安婦の本の登場前ですが、麻生徹哲男医師に公衆便所と呼ばれた慰安婦が注目を集めつつあった証拠に思えます。しかし、慰安婦の意味にずれがあった。

 

1971年には当時最大の動員力を持っていた中核派全学連の全国学生大会で女子学生が男性幹部に差別主義者という怒号を浴びせたため会場は大混乱に陥った。結局執行部全員が自己批判して事を納めた。当時の女子学活動家はカンパ活動や差し入れといった活動の陰の部分をになっていたという背景があった。彼女らの多くは中絶経験者でもあった。当時ウーマンリブの参加者が口にしていた『女の痛み』とは中絶の痛みを指していた。これこそ女特有の痛みなのだ。

 

しかしほどなくして田中美津さんのウーマンリブという看板は中ピ連に事実上乗っ取られてしまった。榎美佐子の率いる中ピ連はマスコミを利用し日本中で有名になった。

 

1974年に彼女は訪問先のメキシコで当地の男性と駆け落ちした。その後未婚の母となり息子さんを育てた。

 

間違いなく素晴らしい人生を送られた、と心から思います。

 

さて、米ではバイデンの大統領候補撤退でカマラ・ハリス副大統領に初の女性大統領への道が開けた!これこそほんとうのヒョウタンから駒です。

 

しかも残りのわずか100日間で全米女性達が団結して、2022の最高裁判断、中絶禁止は各州の判断、に挑戦することになってしまった。

全米女性にとっては天下分け目の関ケ原になる。負けられない選挙です。

 

 

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