前回のラムゼイヤー教授の記事に関して以下のようなコメントを頂きました。
>この件、官憲による強制連行など無かったということ、納得されていたと思うのですが? それは韓国Sejong大学の朴裕河氏の記事にも明確にかかれています。勿論、現場の兵士による犯罪は、軍事裁判や東京裁判などで処罰されています。それから、契約は一般に契約書を必要としません。朴裕河氏の記事にもありますが、給与の支払い帳はあります。
コメントありがとうごさいます。以下は私の所感です。
ラムゼイヤー氏はこれまで植民地出身の慰安婦達の供述内容が問題となってきた事をJapan Fowardの記事、"Recovering the Truth about the Comfort women" で、日本軍兵士が銃剣を突きつけ慰安婦を連行したという証言は事実ではない、と書き、ハーバード大学法学部内で公開されたDiscussion Paper 2019でも最初に名乗り出た金学順さんの話がコロコロ変わったという例を持ち出して注意を促している。
被害者の供述(=証言)には裏ずけが必要なのだが、それが事件から50年後に初めて話され、しかも韓国語から日本語への訳が必要、その上供述内容をめぐる対立、という事情から内容の確証が困難になっている。しかも反慰安婦側がウソではないかと口に出そうものなら慰安婦支持側の人々をいたく怒らせ反発させるという事態も生じているようだ。本来は真相追及の為に協力して冷静に議論されるべきだと思っている。
元慰安婦の文玉珠さんはビルマの慰安所にいたことが双方からも認められており、当時かなり日本語が達者だった数少ない人のようだ。
その彼女は自伝 "ビルマ戦線盾師団の慰安婦だった私" の中で極貧家庭に育った、最初15歳の時、民間人と日本の憲兵にさらわれ、駅に一晩閉じ込められ翌朝汽車で国境を越えた満州の慰安所に連れていかれた、と述べている。この手のかどわかし例が多いのも半島被害者供述の特徴だ。
だから彼女は実際に誘拐されたのではないかという疑いも出てくる。ラムゼイヤー教授は売春契約があったと主張しているが、半島は日本国内ではない。貧困で社会秩序が崩壊、治安も日本と比べるとはるかに悪かったと思われる。当時の京城新聞には民間女性を誘拐して満州で売春をさせていた悪質な事件に対する警報記事があった、と報告されている。
文玉珠さんは国境の慰安所生活が耐えられらくなり、親しくなった憲兵に母が病気だからと頼んで出所証明書を書いてもらい帰国し、二度と満州には帰らなかった。
しかしすぐ食べていけなくなり慰安婦に応募するのだが、その時も外地のレストランで高給を貰うという話につられたとなっている。しかし本心では話がうま過ぎる、と何となく直感していたそうだ。
この時は釜山の旅館に志願女性が集合、翌日には船で台湾に向かった。その時業者から4分6という取り分を知らされたという。慰安所の4分6は前借金を返すので慰安婦4で業者6という意味である。そこでは日本式の前借金はなくてビルマまで2か月の船旅の費用が丸ごと借金となったようだ。だが実際にビルマで慰安所の中に足を踏み入れても自分がここで"朝鮮ピー"となるという実感はなかった。覚悟したのは実際客の日本兵が現れてからだそうだ。他の未経験の女性達は皆泣き出したと書いている。これを哀れと感じない人間はまずいないはずだ。
文玉珠さん達一向を引率した業者の一人は時期が合致する遊郭業者日誌の著者だろうと報告されている。契約は2年(又は3年)で連れて帰るのも含まれていたのだが、戦争悪化でこの部分も賃金もすべてがオジャン。彼女は日本軍の命令で看護婦に化け、しばらく軍病院内で身を潜めていたが、着の身着のまま連合軍が準備した朝鮮人用の避難船で帰国することが出来た。終戦後一年経っていた。
これでも売春契約で高給を保障され外地に赴任した、と能天気に言えるのか?
私には不思議でしようがない。
戦後の戦犯裁判で、フィリピン、マニラ、ビルマ、ボルネオ等で戦争犯罪、人道に反する罪、で英、米、オランダ軍はレイプ犯および慰安所設置関係者及び責任者を軍事裁判にかけ処刑者もかなり出ている。しかし、極東裁判でも独立後の韓国でも戦争犯罪=性奴隷を根拠とした裁判は開かれなかった。いわゆる裁判が不可能な状態、又はなされなかった、ということで日韓両政府で解決策を図るというのが国際法でも正当化されているが、朴裕河さん流に言えばさまざまな政治的ノイズが邪魔をし続けているというのが現在の状況に思える。