先日YOUTUBEで面白そうな映画を見つけた。“Love and Bruises”愛と青痣、である。日本では『パリ、ただよう花』、という名で去年の12月に公開されている。
このフランス語映画は国際的に著名な中国人監督によるものだ。仏の人気男優、タハール・ラヒンと仏の中国系モデル・女優のコリーヌ・ヤンがいわゆる宿命の恋人達を熱演している。やはりYOUTUBEに載っていたインタビューによると、監督のロウ・イエ氏はフランス語が全く分からない、だからセリフを耳元で通訳して貰いながら映画を撮ったと英語で話していた。
この映画は作成中から関心を集めていた。この監督が前作で天安門事件を背景にした為に中国政府から睨まれていたからだ。
それでこの作品は2011年のベネチア映画祭の招待作となりそこで世界に初公開となったというわけだが、英米の批評家連の酷評を浴びた。
日本では、“フランスと中国という二文化を越えた激愛”だとか、“身分違いの愛”、だとかでロマンチックさが強調されている一方で、公式サイトでは、“どんなにもセックスを重ねても愛には届かない”と銘打っているところなどからして、見方にかなりの喰い違いがあるようだ。それははなぜだろうか?
面白いことにはそれぞれの批評で紹介されているストーリーも一様ではないのだ。これは日本語でも英語でも事情は全く同じ。
理由の一つは映画の構成にあるようだ。前半はレイプで始まるセックスシーンが二人の愛の表現?としてかなりの部分をしめている。だから見る方もこの作品のテーマを誤解してしまう。しかし後半、特に北京に帰った主人公の生活を通して、二人の属する世界の違いが浮き彫りにされていく。だが相手の男のカルチュア的背景は全くぼかされ歪曲さえされている。しかし相手役にタハール・ラヒンを据えることで真相をオープンにしているところがまた面白い。
ところで仏語映画なのに英語で“Love and Bruises花”というように、尻尾に漢字がくっついているというタイトルは希だ。タイトルがこれに落ち着く前には、やはり英語の“Bitch”ビッチにしようかと真剣に考えたそうだ。
“ bitch” は女性に対する俗語蔑称であり“f** k” と同様に人前で使うような類の言葉ではない。
主人公の中国人留学生花(ホァ)が好きな男とのセックスに明け暮れるからといって彼女を“bitch”と性格ずけることはフェアではない。
ロウ・イエ監督は、この映画のテーマは愛だ、ただし愛についての解釈は観客それぞれに任せる、と話していた。
この映画のストーリは極めてシンプルである。
北京からやってきた優秀な中国人留学生がパリでアラブ系のチンピラ男と恋に落ちる、というフランス語でl’amour fou と言っている典型的なクレージーラブの物語。
当然ながら結末は二つに一つ。ハッピーエンドに終わらなければ、お涙頂戴の悲しい別れが待っている。この映画は後者である。
この作品でもっとも不可思議に感じたのは、文化の違いとは一体何を指しているのだろうか、ということである。
実はこの映画では相手の男がアラブ系とはおくびにも出していない。しかも“マチュー”というクリスチャンの名さえ使って何も知らない観客をうまくごまかしたつもり。皮肉にも、アルジェリア系移民二世だが容貌がヨーロッパ系に近いタハール・ラヒンの演技がこの映画のハッタリ性をうまくカバーしているのだ。
このマチュー君は、軍隊にいる時に危険な軍事作戦に従事したとかで、その際に負傷して機能を失った左手に残された傷跡を花女にみせびらす。どうやらPTSDにもかかっていそうで、危険のオーラに包まれているような若者だ。
このアルジェリア系男優の存在感あふれる演技により、このマチュー君はlooser (=人生の落伍者)の典型のように見られてしまった。しかし主人公の粗暴な言動の陰から見え隠れしているのは女性蔑視のアラブ的カルチュアである。
最初の出会いでマチュー君は花女にしつこくつきまうのだ。ストーキングをして無理やりに食事に誘い、その後はデートレイプである。マチュー君によれば、気があるように自分に思わせたのは花女、というのだから恐れ入る。
米英の批評家はそこで一斉に拒否反応だ。デートレイプは悪質な犯罪行為で、それが愛に発展するなぞとはトンでもないたわごとだというわけだ。
デートレイプの後、二人は安っぽい連れ込みホテルにしけこんで朝までセックスに耽る。そして別れる頃にはすっかり恋人同士になっていた。
その後の二人は花女が借りたパリのアパルトマンで熱い情事を続けることになるのだが、その間もマチュー君は遅く帰宅した花女を待ち伏せ、他の男といちゃついていたんだろう、このあばずれ、と非難に忙しいといったあんばい。そんな恋人同士の痴話喧嘩は二人のラブ・ライフのスパイスみたいなものだ。しかし、二人がそれぞれの社会生活を共有しようとすると、たちまち問題が起こってしまう。
マチュー君は花女の学生仲間と中華レストランで食事をしたのだが。隣席の中国人留学生が妻に去られて悲しいだろうにという仲間のコメントを聞いて、ナニ、女には花束でも贈って機嫌を取って男としてセックスをしてやればすべてうまくいく、アンタは男のセックスをしていなかった、と中国人偏見を丸出しにした無礼な態度で難癖をつける。
そこでたちまちその中国人学生と殴りあいの暴力沙汰になってしまった。
マチュー君が、こんな場所に来たくはなかったんだ、と捨てぜりふを残してその場を去った後、この中国人留学生は花女に怒鳴り散らすのだ、
アンタがフランス語教師と寝たのは理解できるが、どうしてあんな下司な野郎とつきあう必要があるんだ!
しかし極めつけは何といってもマチュー君のダチ公。この男はマチュー君の上を行くごろつきだ。映画の中ではマチュー君もこの男の泥棒稼業の片棒を担ぎ子使い銭をしっかり稼いでいる。名はジョバンニというイタリア系だがこれを演じているのはやはり著名なアルジェリア系男優である。
この虚栄心の塊のような与太者にマチュー君は花女を鼻先で見せびらかしたことからトラブルが発生。
細身で柳腰、外国の男達にとってはオリエンタル女はまさにセックスシンボルそのもの。たちまちジョバンニは羨望に取り憑かれた。まさに口から涎でも出てきそうとは彼のこと。下心あるジョバンニに招待されてナイトクラブに出かけた二人はエンジョイし過ぎて内部の暗さに紛れて本番までしていまうという熱々ぶり。
もう我慢できなくなったジョバンニはマチューに2時間だけ花女を貸すようにと無理やり頼み込むのだ。彼の目的は馬鹿でも分かる。
しかしアラブの男達の友情は堅い。それに悪いのは常に女だ。だからマチュー君は全く嘘をついてまでして花女をジョバンニの車に乗せるのだ、後でパーティに合流するから、と。
案の上、花女はジョバンニに暴力的に犯されそうになる。際どいところでベッドから落っこち頭を強打という予期しない事故でやっとレイプだけは逃れることができたが、花女はパリまで夜のヒッチハイクをしなければならないはめに。
これには花女も切れた。マチュー君の仕事場に出かけて彼と対決だ。
俺とジョバンニは賭けをしたんだ、やはりあんたはビッチ(あばずれ)だ、だからレイプさせたんだ、とアラブ男のエゴ丸出し。
花女は額に出来た大きな青痣と傷口を見せて、
私を騙した上私にこんな怪我を負わせたあんたは一体何なのよ!とマチュー君の頬を手でピシリ。
さすがに良心が咎めたマチュー君はちょうどそこにやってきたジョバンニに殴りかかった。たちまち乱闘になるところを仕事仲間が必死になって止めに入った。