chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

小野田コメント

小野田シリーズの記事に下のようなコメントを頂きました。
 
 
 戦後に生まれたもの
小野田さんを擁護するコメントの多さに驚いた一体いくつの年代の人なのか分からないけれど彼らは最後まで戦った横井は逃亡者だとこんな思想がある限り日本は良くならない
彼らは生きるために島民を虐殺した事実は消せません国のために戦ったという考えもおかしいです。人を殺してまで生きるのですかしかも相手は武器を持っていない島民にしたらただの強盗ですそれを英雄扱いする日本人は嫌われても仕方ない長いあいだ中国や韓国など戦争の時の賠償を要求していたのもこの人たちのせい全ての軍人がそんな人ばかりではなかったとは思いますがそういう人たちのせいで武器を持たない赤ん坊や女の人にひどい仕打ちをしていたのだと分かると彼らの怒りは仕方ない
日本人だって言っているじゃないですか北朝鮮の拉致問題彼らは上官命令で仕方なしにやっているそれを英雄扱いされたら被害に遭った国民はどう思いますか仕方ないで済みますか?
 
中野学校でゲリラ訓練を受けた皇軍少尉が戦後30年間戦争を続けた、という小野田伝説は小野田氏が帰国する前に概に作り上げられていた。小野田氏とルパングで30年も運命を共にし死体となって帰国した小塚一等兵のグラビア写真を憶えているだろうか?彼は陸軍兵士の軍帽に軍服で棺の中に静かに横たわっていた。これを目にした人達には紛れもなく30年ぶりの日本兵の帰還と映っただろう。しかし小野田寛朗著の私の30年戦争によると、彼らの軍服一切はジャングルの熱と湿気のせいで2-3年も経たないうちにすべてボロボロになってしまった。だから二人が着ていた日本兵のコスチュームもどきや靴はすべて島民から奪ったものだそうだ。特に軍袴は小野田氏のアイデアで現地人の上着を縫い合わせ改造したと書かれていたと記憶している。
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だから上の写真の小野田氏の軍服は軍帽から靴まで現地人から奪ったもので殺された人所有のものだった可能性もある。
これが小野田・小塚組の‟30年戦争”の現実であった。
1974年当時、小野田氏達が山に30年こもっていたという事は国民に受け入れられた。理由は横井氏のグァムの穴からの帰還である。しかし産経が音頭をとった『30年戦争』については国民のほとんどが眉唾ものだと思っていた。天皇は小野田氏に遭うどころが公式に話題にもしなかった。小野田氏自身も逃げるが如くにブラジルに渡った。だが、産経の意図は政治経済の変転の中で成功を博した。今日では丸坊主頭で日本刀を振りかざしたよど号ハイジャックの赤軍やロッド空港乱射事件の唯一人の生存者岡本公三をサムライの真の子孫として称える日本人は見当たらない。だが、小野田氏だけは最後の日本兵という称号に輝いている。しかも小野田氏は米軍と闘う気など全くなかった。それに最後の帰還兵は小野田氏ではなく台湾出身の中村氏であるにもかかわらず。
私は安倍と取り巻き偽学者達及びネトウヨ・フォロワーズの強い影響下にある今日の政治状況が小野田帰還の歴史事実追求を妨げ、小野田伝説に多数がすがりつく理由だと思っている。