chuka's diary

万国の本の虫よ、団結せよ!

"在日"も日本に強制連行された!?

つい数週間前、ある"在日"ブロガーが自分達家族は強制連行されてきたのではない、と書いたところ、読者ブロガーから、朝鮮人の強制連行は事実、とコメントが送られ、両者はブログ上で対立。その結果一方のブログ記事が削除にあった、とも書かれていたが、以下は強制連行についての私見で両ブロガーには関係ありません。

 

まず問題は、在日は日本へ強制連行されてきた人の子孫、という歴史的視点だ。

 

朝鮮人強制連行というのは、1939-45年日中、太平洋戦争下の朝鮮人労務動員を指しているというのが一般的。別名、朝鮮人徴用である。原因は徴兵による半島及び内地の労働力不足となっている。しかし、新左翼の影響で在日朝鮮人差別問題が盛り上がった60から70年代にかけて、強制連行に置き換えられた(と私は思っている)。

 

ネトウヨ側は、1965年の、"朝鮮人強制連行の記録"が原因だ、と主張している。確かにこの本は当時新左翼学生に一番人気がある本として大新聞で紹介された。実は私も半分ぐらいこの本を読んだのだが、統計を頻繁に使った結構固い内容だったことを記憶している。こんな本を最後まで読み通す人、いるのか?と思ったくらい。

 

近代の戦時動員はどこの国でも強制的要素を含んでいる。しかし"連行"がくっつくと、日本語では意味が違ってくる。捕虜や収容所のユダヤ人のように、銃剣で脅かされながら否応なしで引きずっていかれるイメージがダブってしまうからだ。当時の新左翼的表現を借りるなら、"日帝の朝鮮侵略"のコンパニオンとしてふさわしい表現だったといえる。その頃、朝鮮人差別が国内の社会問題として広く認識されるようになった。

 

それで"朝鮮人強制連行"で検索すると、あるPDFをヒット。

 

それは韓国外務部の外交文書だった。"日韓会談全文書公開を求める会"によって公開されていた。

このPDFは北朝鮮帰還事業を目前にした韓国外務部と駐日代表部の外交ケーブルのやり取りの日本語訳だった。時は1959年、李承晩政権末期で、北朝鮮帰還船が初出航する直前である。

http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/766kara.pdf

北朝鮮帰還事業は韓国にとっては韓国人の北送還である。少なくとも当時の在日の80%は南出身だと韓国側は見積もっていたので帰還事業に激しく反対。それで、工作員を派遣して日本側の帰還事業の中心と見なした日赤新潟センターの爆破を計画したが、ひょんな事から発覚し?未遂に終わった。

 

このPDFの4頁、在日韓国人の北送問題に対する(韓国)政府の立場、というノートが面白い。

 

在日は1905から1945年、日本に移住を"強要された"、と書かれている。しかし大部分は太平洋戦争中に起こった、とのこと。彼ら在日が敗戦後も日本に残った理由は、帰国すれば日本の資産は没収、給料未払の徴用はただ働きになり、何の補償も出ない、という将来の暗い見通しだった。

 

皮肉にも、吉田清治の小説、"朝鮮人慰安婦と日本人”1977、には在日動員の事情が詳細に書かれている。在日は真っ先に国内で鉱山や工事場に動員された。

 

しかし、当然日本生まれの在日は日本人としてみられがち。それなのに、日本政府は戦後法的帰化を推し進めることはしなかった、という韓国側の批判があった。

 

現在でも北朝鮮帰還は、日本政府の厄介者払いだった!という視点も有力である。 

 

だから在日は強制されて日本に来た、というのは、当時韓国政府の認識でもあり、戦後の反日感情を反映したもの、という印象を与える。

 

日本では、"日帝の朝鮮侵略"は"戦後左翼"の衰退でほとんど使われなくなったが、強制連行は、徴用・慰安婦問題による日韓関係の悪化で一人歩きを続けている。